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日本を原ねて 心の健康 ストレス解消【聖徳太子】

 36  聖徳太子 (574~622)
日本の生花 西堀一三 河原書店 
 六角堂には、聖徳太子の守本尊を安置していた、その聖徳太子が極北の所を指す星の心を知り、「根願」となるものを見出すのを、日本文化の方向とすべしと仰せられたのを「聖徳太子伝私記」には伝えている。
                        74ページ                   
「しん」の語について、伊勢神宮の御建築に「心御柱」があることが思い浮かばれるが、それと同時に、この「しん」の語は、室町の当時にあって、普通に用いられて居たらしい。「しゃうとく太子の本地」(室町時代短篇集所収)に於いては、

わがしんをたずねてみればなにもなし
柳はみどり花はくれなゐ
  わがしんはかたちなければ見へもせず
見えぬぞ本のすかたなりけり
などの歌がある。                 103ページ

茶の湯と陰陽五行 茶道具にみられる陰陽五行 淡交社
 老荘思想家(道家)は、天を重視して陰陽説を儒家は、人に重点をおいて五行説を主張した。道家と儒家の思想を折衷したのが、陰陽家であり、彼らが唱えた論理が、陰陽五行説であった。…陰陽五行の影響を受けて、聖徳太子は冠位十二階と憲法十七条を制定したとされる。   4ページ
                       
日本人のこころ 五木寛之著 講談社
 儒教の訓(おしえ)では、「仁義礼智信」なのですが、聖徳太子の憲法十七条では、「礼」は二番目にきます。「仁」という人が守るべき道が、最初に示され、それから「礼」です。「礼」が行われれば、義も信も智もスムーズに運ばれるという考えからなのです。        18ページ  
                                             
道教と日本文化 福永光司著 人文書院
 聖徳太子の冠位十二階大事 
 徳と仁・礼・信・義・智の序列について
 現在わが国で行われている位階制度一正一位、従一位、正六位、従六位などの源流をなす聖徳太子の冠位十二階が制定されたのは、いまをさかのぼること、役1400年の昔推古女帝の即位11年目、西暦603年12月のことであった。
奈良時代の初め元正女帝の養老4年(720)に成った「日本書紀」の同年の記述によると、「12月戌辰朔、壬申(の日)に始めて冠位を行う。                   大徳、小徳、大仁、小仁、大礼、小礼、大信、小信、大義、小義、大智、小智、併せて十二階なり」とありこの冠位十二階は、「並びに当色の絁(きぬ)を以て之を縫う」とある。
当色というのは、江戸時代の学者、河村秀根(ひでね1723~1792)の書紀集解などにも考証しているように、大小の徳に紫色、大小の仁に青色、大小の礼に赤色、大小の信に黄色、大小の義に白色、大小の智に黒色をそれぞれ配当すること。                  74ページ

日本のこころ 「私の好きな人」 天の巻 講談社
聖徳太子 中西進著
「日本書紀」によると、太子の先生であった高麗(こま)の僧、慧慈(えじ)が太子の死にあたって、「太子は元聖の徳をもって日本に生まれた」といって嘆いたとある。この「玄聖」は中国の「荘子(そうじ)」(天通に出てくることばで、無為の徳をもった聖人のことである。…無為は無為自然という熟語になって、老荘思想においてもっとも尊重される、最高の状態である。                     23ページ

教会と千歳飴 日本文化 知恵の想像力 上野誠 國學院大文学部教授著 小学館
 【日本における神仏習合】
 日本には、密教を奉ずる真言宗もあれば、浄土教を奉ずる浄土宗もあり、禅宗もある。
中国では、そんなことはあり得ない。つまり、時代ごとに天開していった中国仏教が、日本ではそのまま併在して残っているのである。                  こうなった理由は、二つある、と思われる。
 
 一つ目の理由は、日本では新旧の対立がなくなってしまうことが挙げられる。…旧バージョンの仏教は本家の中国にはなく、日本で独自に存在しているのだ。いわば、知と宗教のガラパゴス化だ(独自化)。
 もう一つの理由は、日本が文明の辺境の地で、かつ周りが海に囲まれていたからである。中心部で起こった大激流も、周縁部である日本には小さな波となって伝わる。中心部では大激流が起こるたびに、古いものが一掃されてゆくのだが、周縁部では、古いものも押し流されず残していったのである。
 この二つの理由によって、中心部で対立していたものが、習合して、日本のなかで独自のものになってゆくのである。
 
 …私も、その考え方に賛成したいと思うが、そういった習合が可能だったのは、日本の地理的条件に負うところが大きかったことも、忘れてはならない。
                        106・107・108ページ
 【日本仏教の英雄 聖徳太子の1400年】
 伝説であるがゆえに、むしろ聖徳太子信仰には日本仏教の神髄があるということである。アジア諸地域における仏教信仰も、地域ごとに異なる日本には、日本の仏教がある。
 和こそがすべてに優先するという風土の下で、聖徳太子伝説は作られているのである。
 ために、日本仏教の英雄、聖徳太子が和の化身なのである。
聖徳太子伝説は、日本の宗教風土のなかで形成された伝説なのである。
 別の言い方をすれば、日本製のお釈迦さんである。
 日本人が聖徳太子を好きなのではない。むしろ、逆だ。
 聖徳太子伝説は、日本人の好む思想や価値観に基づいて作られている伝説なのである。
 忠と孝とに徹し、慈悲の心を持って他人に接し、対立を回避して、仲良く生きることを説く聖徳太子は、かくありたい理想の日本人像でありかくありたい日本社会像なのである。         113ページ
                  
聖徳太子は「柳はみどり 花はくれない」あるがまま、無為自然をあらわしている。


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