ニコライ・ゴーゴリ氏の『外套』読んでいるのだけど、アカーキー・アカーキエヴィチが不幸を被る描写いくつかあるのに全部あっさりしてて笑う。
 ゴーゴリ氏が「どうなったかより【どうするか】だ!」という考え方なのか、翻訳者さんの日本語が私に合わなかったのか。とにかく湯通しのされた悲劇。