お茶の水女子大学附属幼稚園 #先生の観察力♡!
「Kyokoちゃんの描く絵は、クラスのみんなと違うのよねえ」
お茶の水女子大学附属幼稚園の担任の先生が、母に言っていたそうだ。
(50年以上前、昭和40年代後半の話です。でも人は年月経っても変わらないと思いますので、この記事を書いています)
大人になってから、そのことを母から聞いた。
わりと一般的な人生を望んでいたであろう母にとっては、どきっとした先生の所見だったかもしれない。
母の立場として、あえて子供の私には伝えず、アートの道に進んだ今だから、私に話したのかもしれない。
まあ私としては、なんだ、もっと早くに言ってもらえたら、もっと早くに確信を持ってアートに邁進できたのに、と思ったりもした 笑
私が美大に入学した頃、幼稚園の同窓会があった。
幼稚園を卒業して15年経っているので、担任の先生を囲んで、クラスのみんなと「私のこと覚えてますか?」合戦をしていた。
「あ。Kyokoちゃんねえ?!」
「先生、覚えてくれていたんですね、今、私、美大に通ってるんですよ」
「あ、やっぱりねえ!そういう道へ進むと思ったのよー」
(どうしてそう思ったんですか?とその時聞けばよかったな)
それはさておいて、
お茶の水女子大学附属幼稚園では、
先生がひとりひとりの子供の素質をよく観察していたのではないかと思う。
子供の素質を観察して、それを親に伝えるというのは幼児教育の先生としてとても大切なことなのではないだろうか。
3歳から5歳児の素質は本物のような気がする。魂の素質とでも表現してみようか。
家庭で気づかなかったようなことや、または家庭の外での子供の行動を聞くことで親が改めて確かめられることもあるだろうし、信頼できる先生での目線なら、子供の素質に気付かされることもあるだろうし。
それぞれの子供が持っている素質を見つけてちょっとメンションしてみて、引き出すような手助けをするのが本当の先生な気がする。そしてそれを伸ばすように見守る、というようなことが親の役割とでも言おうか。
私の絵の場合、どう人と違うと思ったかは先生のセンスによるものだから、先生の裁量に左右されることもあるかもしれないけれど。
そして、ちょっと風変わりな素養だとしても、それをポジティブに捉えて、良い方向へ目を向けていくことがもっと大切かもしれない。
私は「絵の上手な子」ではなかった。
そこを観ていた先生が素晴らしいのだ♡
絵が上手い子だから、、、という理由でないところが気に入っている。
ちょと「窓ぎわのトットちゃん」的かもしれないかな?
実際に私の芸術は「その部分」で行う芸術が私の芸術。
大人になった今は、その後の人生で影響された自分を使った芸術になっていくのを感じる。
だから、幼稚園の頃の「その時」のような気持ちで、創っていく。
それが私が創る芸術になるのである。
私の魂の素質をメンションしてくださった先生と、母に感謝を伝えたい。
やっぱりお茶の水女子大学附属幼稚園は素晴らしかったのだった。
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