愛してる、人権

あなたの学校には〝人権問題研究部〟はありましたか?

うちの学校にはありました。
部員は当時私1人。
なぜ私がそんな部活に入ったのか。


私は部落地域出身だ。
幼い頃から〝差別〟に敏感な子供であった。
そして今も〝差別〟に敏感な大人だ。

私は正義感が強い。
発達障害も兼ね備えてるので、良いか悪いか、正義感が強い。

だから人権問題研究部だった。

でも今思えば、演劇部とかに入ればよかった。
友達とアイス食べながら帰ったり、マクドナルドで恋バナしたりしたかった。

そう、問題はこの世に跋扈する〝差別〟でも私の正義感でもない。


私はひねくれていて、かつ周りと違っている自分でいたかったのだ。


noteの見出し機能を使うと、微妙に改行の幅がズレるよね。気になる。
え、なんだっけ。


別に部落出身であることなんて、当時から考えたら気にすることもない一つのカテゴリだった。いじめられたとかもなかったし、あったとしたら明らかに私の性格のせいだったし。

でも私は部落出身者でいたかった。


今はもう、全然部落出身をひけらかす必要なんてない世の中だ。ネット上ですら、もう部落出身が差別の対象になることなんてほとんど見ない。

でも私は部落出身者でいたかった。


疾病利得、という言葉がある。

「疾病利得」という言葉は、精神疾患などの病気に罹患することで得られる生活面でのベネフィットや社会的、あるいは経済的な利益の事です。

https://s-office-k.com/personal/column/symptoms-of-illness/psychology/psychology-disease-gain 

やや文脈が違う気もするが、これに似ている。


本来は差別されるはずの部落出身者だが、
当時の私は部落出身者であることでアイデンティティを得ていた。
地元に病院や警察署がないのは多分部落地域だったからだと思うが、別に私はそれに困っていなかった。

でも私は部落出身者でいたかった。


多感な思春期に、周りとは違うトガッたカテゴライズに自分が入るという優越感。
ひねくれている私は、そして何者かになりたかった私は、部落出身者であり、かつその研究までしている自分を演出したかったのだ。

顧問は喜んでいた。一緒に部落についての資料館に連れてってくれた。これが私の青春だった。

そういう青臭い自意識を捨て去った今、思うことがある。


あぁ、もう一度戻れるなら柔道部とかのマネージャーやりたい。

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