ある詩人とマギンティ夫人

 今、何十年かぶりにアガサ・クリスティのミステリを読んでいるのだけど、これには理由があって、先日たまたま『荒地の恋』という映画?ドラマ?を観たからなのである。

 なんとなくAmazonプライムを開くと目についたので、再生してみた。なんの予備知識もなく、出演している俳優にも興味がなく(女優は見てすぐに鈴木京香さんだとわかったのだが、主人公の男性は最後の方まで誰か分からなかった…とよえつであった)、ただ古い時代の横浜や鎌倉の風景、レトロなファッションやインテリアや建物、ゆるやかに流れる空気感に惹かれて、見始めてその晩のうちに三話とも続けて観てしまった。めったにないことである。

 どうにも男女間のアフェアについては感情移入ができないので、登場人物たちの色恋沙汰は冷めた目で見てしまう。恋愛もこの物語のテーマなのだろうが、欲望を抑えきれない人たちを悲しく思うだけである。

 私が興味を持ったのは、これはどうやら、ある詩人とその仲間たちの話なのだと、だんだん分かってきたからだった。新聞社に勤めたり、翻訳業で糊口をしのいだりしながら、詩を書き続け、一冊一冊詩集を出版してゆく。時折、その詩人の作品らしき朗読がナレーションとして流れる。戦後間もない時代に、感情や情熱の荒波に翻弄されながら、つかの間の喜びや嘆きや憎しみや、生死、苦楽、それが幸せなのか不幸せなのか、すべてが詩作に昇華してゆく、詩人の一生が描かれているように思えた。

 恥ずかしながら、現代詩についての知識がまったくないため、観終わったあとに少し調べてみた。主人公は、北村太郎という実在の詩人がモデル、そして、彼は『荒地』派のメンバーだった。
以下引用にある、田村隆一も深い関わりのある友人として、荒地の恋に登場している。彼も北村太郎以上に、奔放で破天荒な人物として描かれているが…

『荒地』(あれち)は、1947年9月から1948年6月まで同人誌で発行された詩誌。[1]戦前の詩誌『ル・バル LE BAL』や『世代』などへ参加していた同人が、中心メンバーの一人・田村隆一の勧誘に応じて集まった、エポックメイキングな詩誌。1939年に、鮎川信夫などの旧早稲田大学出身者を中心に結成された同名の文芸誌の後継誌でもあった。「荒地」の名は1922年のT・S・エリオットの同名の詩にちなむ[2]。
後に、同人の加島祥造の兄が早川書房創業者の早川清と小学校の同級生だったこともあり、同人の多くがミステリ、SF等の翻訳者としても活動した。

Wilkipedia

 北村太郎の名前は初めて知ったのだけれど、田村隆一や加島祥造は目に記憶がある。すごくある。調べると、アガサ・クリスティ作品のほとんどをこの二人が翻訳しているのだった。だから見覚えがあるのだ。学生時代にハヤカワミステリ文庫で、アガサ・クリスティを読み尽くした私は、当時翻訳者について全然意識していなかったが、表紙の原作者名の横に小さく記されていた彼らの名前が、自然に視覚に刷り込まれていたのだろう。

 とても懐かしくなり、どんな翻訳だったのか読み返したくなった。田村隆一が最初に翻訳したのは『三幕の殺人』とのことなので、探してみたがすでに別の翻訳者による新訳がでていて、田村訳は絶版らしい。近隣の本屋さんにいくと、ハヤカワミステリ文庫のアガサ・クリスティはずらりと並んでいたが、ほとんどが新訳版に入れ替わっていた。そして、ようやく『マギンティ夫人は死んだ』が、田村訳のままなのを発見して、買い求めた。

 半分くらい読み進めたが、なんて無色透明な翻訳なのだろうと思った。あるいは、昔からこれがクリスティと思って読んできたので、田村訳とクリスティが私の中で一体化しているのかもしれない。まだ十代の自分が、胸をわくわくさせながら次々と読んでいたクリスティが、あんなに酒好きで色男の詩人、田村隆一に翻訳されていたなんて、と思うと不思議な気分である…

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