ある詩人とマギンティ夫人
今、何十年かぶりにアガサ・クリスティのミステリを読んでいるのだけど、これには理由があって、先日たまたま『荒地の恋』という映画?ドラマ?を観たからなのである。
なんとなくAmazonプライムを開くと目についたので、再生してみた。なんの予備知識もなく、出演している俳優にも興味がなく(女優は見てすぐに鈴木京香さんだとわかったのだが、主人公の男性は最後の方まで誰か分からなかった…とよえつであった)、ただ古い時代の横浜や鎌倉の風景、レトロなファッションやインテリアや建物、ゆるやかに流れる空気感に惹かれて、見始めてその晩のうちに三話とも続けて観てしまった。めったにないことである。
どうにも男女間のアフェアについては感情移入ができないので、登場人物たちの色恋沙汰は冷めた目で見てしまう。恋愛もこの物語のテーマなのだろうが、欲望を抑えきれない人たちを悲しく思うだけである。
私が興味を持ったのは、これはどうやら、ある詩人とその仲間たちの話なのだと、だんだん分かってきたからだった。新聞社に勤めたり、翻訳業で糊口をしのいだりしながら、詩を書き続け、一冊一冊詩集を出版してゆく。時折、その詩人の作品らしき朗読がナレーションとして流れる。戦後間もない時代に、感情や情熱の荒波に翻弄されながら、つかの間の喜びや嘆きや憎しみや、生死、苦楽、それが幸せなのか不幸せなのか、すべてが詩作に昇華してゆく、詩人の一生が描かれているように思えた。
恥ずかしながら、現代詩についての知識がまったくないため、観終わったあとに少し調べてみた。主人公は、北村太郎という実在の詩人がモデル、そして、彼は『荒地』派のメンバーだった。
以下引用にある、田村隆一も深い関わりのある友人として、荒地の恋に登場している。彼も北村太郎以上に、奔放で破天荒な人物として描かれているが…
北村太郎の名前は初めて知ったのだけれど、田村隆一や加島祥造は目に記憶がある。すごくある。調べると、アガサ・クリスティ作品のほとんどをこの二人が翻訳しているのだった。だから見覚えがあるのだ。学生時代にハヤカワミステリ文庫で、アガサ・クリスティを読み尽くした私は、当時翻訳者について全然意識していなかったが、表紙の原作者名の横に小さく記されていた彼らの名前が、自然に視覚に刷り込まれていたのだろう。
とても懐かしくなり、どんな翻訳だったのか読み返したくなった。田村隆一が最初に翻訳したのは『三幕の殺人』とのことなので、探してみたがすでに別の翻訳者による新訳がでていて、田村訳は絶版らしい。近隣の本屋さんにいくと、ハヤカワミステリ文庫のアガサ・クリスティはずらりと並んでいたが、ほとんどが新訳版に入れ替わっていた。そして、ようやく『マギンティ夫人は死んだ』が、田村訳のままなのを発見して、買い求めた。
半分くらい読み進めたが、なんて無色透明な翻訳なのだろうと思った。あるいは、昔からこれがクリスティと思って読んできたので、田村訳とクリスティが私の中で一体化しているのかもしれない。まだ十代の自分が、胸をわくわくさせながら次々と読んでいたクリスティが、あんなに酒好きで色男の詩人、田村隆一に翻訳されていたなんて、と思うと不思議な気分である…
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