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目の前の人をなんとかしてあげようなどど思わないで

なんとかしてあげようと思うことを
やめるに辿りつくまでの時間長かったです。 
かといって終わったと言い切れるかな。

まだ続いていくかもしれませんが、前と違ってバランスをとることは出来ると思います。


相手の話を聞きながら、
相手の要望に答えようとしている自分がいます。
無意識下のかなり深いところでの出来事です。

過去の私は感じとった相手の要望に、
必ずと言ってほど答えていました。
あたりまえのようにササッとね。
そうすることで自分を満たしていたのです。

本来相手の要望や悩みの中で、
自分を癒していくことはできないのです。


相手が必要と感じるものが、
必ずしも自分に必要なものなのか?
自分には必要ないものと気づけたなら
やめるを選択することお勧めします。


他者の要望にいち早く答えることを美徳とまで思い込んでいた私は、長い間自分を優先することなく過ごしてきました。

仕事と子育てをしながらいろいろな悩みを抱え、その多くが対人関係で他者を優先し過ぎるために起こる隠された自分の我慢が原因だったようです。

心理学を学び知識を得て自分の過去を振り返り、もしかして私って依存体質なの?と思いながらも認めることが怖かったりしました。

自分で認めた後も無意識に繰り返される他者優先の思考グセをなかなか手放すことができなかったのです。


仕事の関係者、パートナーそして子供との関わりから事あるごとにいろいろなことを学び、最後に残ったのは自分の両親や実の姉妹との関わりでした。

自分の親だから自分で面倒を見なければと、親の要望全てに対応しようとしていたり、

2人だけの姉妹だから姉の私がなんとかしなくてはと、相手の考えを聞くことなく一方的に話を進めようとして険悪な状態になったりしました。

年老いた親の天井無しの要望に応えられない自分に不信感を抱いたり、

姉妹とは言え自分がよかれと思ってやったことが、必ずしも相手に歓迎かれるものでなかったと知り愕然としたり。

親兄妹も言ってみれば他人。
自分の持ち物ではないのです。

こうした状況をつくり出す原因が、他者の期待に答えようとする自分な訳です。

悪いことをしている意識はなく、自分の役目を全うしようとしているのですが、そこには大きな違和感が生まれていることに自ら気づくのです。

客観的に見ればわかることでも無意識に反応していることが多いです。

親の介護は魂の学びの場と聞きますが、自分がなかなかクリアできない課題は、手を変え品を変えやってくるのは本当でした。

その度考えさせられ自分にかえっていくのです。

私の他人軸と自分軸のお話だったのですが、
果たして完成形はあるのでしょうか。

今の自分がどのような状態なのか気づくことができれば、修正は可能です。
ズレた部分を戻しバランスがとれれば問題も最小限で済むかなと感じています。

なんとなく歯切れの悪い結末ですが、今このことを書くことで、自分の区切りにしたいなと思い書いてみました。

もし同じような悩みを抱えている方いらしたなら、一度立ち止まり自分に出来ること出来ないことを分けて考えてみることも自分を客観視できるポイントかもしれません。


心はふんわりやわらかに
美しく始めていきましょう♡

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