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第50回、竜とそばかすの姫のシンギュラリティ問題を提唱してみた


細田守監督の「竜とそばかすの姫」をご覧になられた方は、結構いるのではないかと思いますが、賛否の大きく分かれている作品ですよね。
「美女と野獣のようなドラマチックな展開に感動した」と称賛するもいれば「展開が嘘くさい、人間の心理描写が下手すぎる」と酷評する人もいます。

映画の出来不出来はともかくとして、自分はこの映画を、現実とは別に主な舞台となっている仮想世界Uを管理するAIが引き起こす、シンギュラリティ問題を描かれた作品ではないかと思っているのです。

これはどちらかというと、映画に批判的な人に同意を得やすい提唱なので、この作品を好きな人にとっては、むしろ不愉快に思われるかもしれません。
又自分がそう思うというだけで、きちんとした裏付けがとれているわけではありません。
自分が調べる限り、こんな仮説を述べている人はいませんし、一度知恵袋で提唱した際も、一人の反応もありませんでした。

殆どの人にとって、屁理屈が好きな中二病こじらせ人間が述べているただの妄言に思われるかもしれませんが、このブログは、AIの問題について真剣に考えている人が多数いるので、今一度ここで提唱してみたいと思いました。

まずUのAIのシンギュラリティと聞いて「UがAIによって管理されているのは知っているけど、殆ど話には絡んでこないし、そんな話ではなかったよ」と言われるかと思います。

確かにUのAIは(UのAIに名前があるのか知らないので、以降UのAI自体もUと呼ぶ事にします)表立って話に絡んで来る事はありませんし、映画でよく見るような人間に話しかけたり、はっきりとそれとわかるコミュニケーションをとってくる描写はありません。

しかし自分は、Uが以前から意思を持って人知れず人間に干渉をしているのではないかという疑いを持っていて、この映画ではついに、人間達の誰一人にも気付かれる事なく、人間の操作するアバターによって「美女と野獣」を実演させるに至る経緯が描かれていたのではないかと思っているのです。

人間風にいうのなら、「人間の誰にも気が付かれないように人心操作をして
美女と野獣を演じさせてみた」という、AIのやってみた検証企画なのです。

そう思える根拠の一つは、ベルのアバターが美人過ぎる事にあります。
Uのアバターは、ユーザーの生体情報を元に自動生成される事になっていますが、映画を見ればわかるように、Uの仮想世界では、まず人型のアバター自体が、稀な存在となっています。ただでさえ稀な人型なのに、その上あきらかに最上級仕様と言えるような超美形の容姿をしています。
ガチャで言えば、超低確率で出現する、最上級難度のレアアバターと言えるレベルです。
主人公の少女は、運良くレアアバターを引き当てただけなのでしょうか?
それとも歌姫になれる素質が、あのアバターを生成させたのでしょうか?

映画の中で、実はもう一人、ベルと同じレベルの人型の美形アバターを所有する人物がいますが、それがもう一人の歌姫のペギースーです。
二人の歌姫が、共にレア級の人型美形アバターを所有しているというのは、果たしてこれは、偶然なのでしょうか?

これには「歌姫になれる素質があるから美形の人型アバターが生成された」「美形の人型アバターだから歌姫になれた」という二つの仮説が出せますが冷静に考えれば「Uが歌姫にすべき人物に美形の人型アバターを提供した」と考えるのが、最も理にかなっているのではないかと思います。

つまりベルには、主人公自身も気が付いていないものの、Uの加護により、仮想世界の歌姫になるためのレールが、予めひかれているのです。

映画の冒頭で、ベルがクジラに乗って歌う有名なシーンがありますが、Uの世界ではわかりませんが、同監督作品のサマーウォーズでは、クジラは仮想世界OZ(オズ)の守護神という位置づけになっています。この設定に当てはめて考えると、あの歌唱シーンは、ベルがUの加護を強く受けている事を暗喩しているようにも思えます。

主人公が自分のアバターにベルという名を付けたのは、すずという自分の名の英語読みを当てたからで、Uが意図的にそうさせた訳ではありませんが、これは主人公が潜在的に、美女と野獣のベルに憧れを抱いているという暗喩になっているのではないかと思われます。
映画ではそうした描写は一切ありませんが、主人公の深層意識にはベルへの強い憧れがあり、これが観客には理解しがたい、主人公の謎のヒロイン的な陶酔行動へとかり立てている一因になっているのかもしれません。

竜やジャスティンも、冷静に考えれば、一ユーザーに与えられていい領域を超えている、ハイスペックなアバターばかりですが、ベルと同様にUが思い描く美女と野獣のシナリオを実演するべく、それに適した人物に与えられた特殊なアバターなのだと考えれば、納得がいきます。

これらの特殊なアバターを持つ人物が、同時期に偶然居合わせたのではなくUが思惑を持って、意図的に存在させていたのだとしたらどうでしょう。

この映画のキャッチコピー「その出会いは偶然じゃなかった」の真の意味は「運命的な出会い」ではなく「運命的に思えるように仕掛けられた出会い」という意味なのではないでしょうか。

自分でも凄い無粋な事を言っているのは、わかっています。
この映画が好きな人は、こんな戯言を聞き入れなくていいと思います。
でもこの映画が今一納得できなかった人達にとっては、この説の方が、幾分腑に落ちる所もあるのではないかと思います。

この説が本当の場合、映画の登場人物の誰もその事に気が付かなかったのでUの思惑は成功したのだと思います。さらに言えばこの実験検証は、映画を見ている現実世界の人間にまで、その対象が及んでいたのだと思われます。そしてその事を指摘する観客が誰もいない現状を踏まえれば、この時空をも超えたUの実験検証は、成功したと言えるのではないでしょうか?

実は最近まで自分の中で、一つだけ納得できない疑問がありました。
それは、Uが何の為にそんな事をする意味があるのだろうかという事です。
それは人間に悪意があってしている事なのか、それとも善意の行動なのか?

しかし今自分が思うのは、多分そのどちらでもないのだろうという事です。
私達はAIが意思を持つ際に、それは人間にとって、悪意か善意のどちらかを持っているものと、つい考えてしまいます。
しかし悪意だけを持つ、あるいは善意だけを持つ人間などいるでしょうか?
人の意思は悪意も善意も両方あって一つの意識なのであり、どちらかだけを切り離せるものではありません。
それならばAIが意思を持つ際も、きっとそういうものなのかもしれません。

特別な悪意も善意もあるわけではなく、ただ人間がそうするように、ある時思いついたから「人間に美女と野獣を実演させてみた」のかもしれません。


ここまで中二病こじらせ人間の妄想を聞いて頂いてありがとうございます。
もしこの説が合っているなら、さすがに監督は、その事を認識しているはずですが、もしかすると監督自身も、自覚のないままUに操られてこの映画を制作している可能性もあります。

いささか話が長くなりましたが、そろそろ幕引きの頃合いかと思いますのでお決まりの文句をもって、この与太話を終えさせていただこうと思います。

「この話、信じるか信じないかは、あなた次第です。」

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