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第291回、劇場版キミセカに、二択思考の恐ろしさをみた


※この映画感想には、作品への重大なネタバレが多分に含まれています。

以前、第283回の投稿記事で「劇場版 君と世界が終わる日に FINAL」が、主人公が己の正義の為に、人類最後の希望の地を崩壊させるという事を冗談で述べたのですが、まさか本当にそういう話なのだとは思いませんでした。

それも仕方なくや結果そうなってしまったとかではなく、主人公が思いきり積極的に、楽園内にいる生き残りの人間を皆殺しにかかっているのです。

自分は劇場版に至るまでの経緯を、ネット配信のシリーズで見て来た訳ではないので、そこに至るまでの詳しい事情等は知りませんし、どうやら楽園を運営する管理者が、主人公にとって宿敵の様な存在らしいのですが、だとしてもそこで生活している数少ない人類の生存者達の命をかえりみる事なく、楽園もろとも崩壊をさせるのは、なかなかぶっ飛んだ話だと思いました。

主人公がそういう行動をする理由は、さらわれた幼い娘を取り戻す為らしいのですが、娘を救出する為とはいえ、他の人間全ての命を代償にする主人公の行為に、観客はさぞ引いているのではと思いきや、キミセカのファンには娘の為に命を張って救出しにいく父親の雄姿に感動をしている様で、至って好評なのです。

あれ?この主人公がイカれていると感じる自分の感覚がおかしいのか?と、訳がわからなくなっている状態なのですが、そもそもこの話、残りの人類を救う為に少女の命を犠牲にしなければならない訳ではなく、抗体ワクチンを開発する為に、少女の血液を定期的に採血したいだけなので、映画の予告でいわれる様な「幼い少女とそれ以外の人類の幸福の、どちらかを選択する」という、二択である必要がないのです。

幼い少女とそれ以外の人類の幸福の、どちらを選ぶのか?


なぜこの二択で考えなければならないのでしょうか?
少女から血液を採取してワクチンを生成する事は、少女にとって不幸でしかないのでしょうか?

劇中、少女が注射器を刺されて痛がって泣く映像が何度も流されて、少女が可愛そうである事を、不幸な境遇にある事を印象付けさせてくるのですが、確かに今の日本の様な平和な世界であれば、少女は可哀そうな境遇にあるともいえますが、世界中にゾンビが蔓延しているその世界においては、少女を絶対に死なす訳にはいかないので、むしろ世界で最も手厚く保護されている位なのです。

全人類を滅ぼそうとしている悪魔に囚われた少女を救出する内容であれば、確かにこの展開は納得できますが、相手は人類を救おうとしているワクチン開発者なのです。
なぜ彼らを皆殺しにして、少女を救出しなければならないのでしょうか?

少女が主人公の娘だから、その場所にいる人達が一部の富裕層だけの偽りの楽園だから、ワクチン開発者がそもそも、ゾンビウイルスを生み出した悪の存在だから、敵と主人公の間には、並々ならない因縁があるから。

主人公の行動を説明できる理由は、いくらでもあります。
しかしそれらの理由を考慮しても、娘を救出する為に、残りの全人類の命を犠牲にするのは、絶対に間違えているとまではいわない物の、最極論であり他の解決の仕方は、他にも色々とあり得たのではないかと思うのです。

この作品では、こうした極論めいた二択の思考が至る所で見られます。


救出した少女をワクチン開発者の元に返す代わりに、自分にゾンビウイルスの抗体ワクチンを打つ事を要求する裏切者の男。


なぜ少女の命か自分の要求かの二択が、成立すると思うのでしょうか?
打たれるのは只の栄養剤かもしれませんし、もし本物の抗体ワクチンだったとしても、ゾンビにかまれない限りそれを証明しようがないので、自分では本当に抗体ワクチンが打たれたのかは、その場ではわからないのです。

ワクチンの代わりに毒薬を打たれたり、注射をして少女を返した後に、拳銃で撃たれる可能性も十分にあり得るのです。
なのになぜこの男は少女を返せば、自分の要求が通ると思うのでしょうか?

ちなみに映画では、未完成の抗体ワクチンを打たれてゾンビ化をした上に、拳銃で撃たれるのですが、その可能性は十分に考えられたはずなのです。


ワクチンが完成しないのは、少女が抗体ウイルスを持つ奇跡の人間ではなく普通の人間だったからだ。というワクチン開発者の言葉をそのまま信じて、少女を拳銃で殺そうとするボス。


ボスはなぜその一言だけを聞いて、それが真実だと思ったのでしょうか?
開発者が自分の身を守る為についた嘘である可能性は十分にあり得ますし、少女が抗体ウイルスを保有している可能性があるから、最優先で少女を生かしていたのに「少女が抗体ウイルスを保有していれば抗体ワクチンはできる抗体ワクチンができないのは、少女が抗体ウイルスを保有していないから」という謎の二択を信じて、少女を殺そうとします。

抗体ワクチンが完成しない理由は、他にもいくらでも考えられるのです。
それなのに他の可能性への思考を全て放棄して、少女を殺そうとするボス。
少女が本当に抗体ウイルスを所有していたら、どうするのでしょうか?


娘を救出するには、脳を撃たれない限り不死身の半ゾンビ化する、未完成の抗体ワクチンを打つしかないと考えて、自ら半ゾンビ化する主人公。

主人公は、なぜそれしか手段がないと思ったのでしょうか?
別にそのワクチンを打てば、無敵の体を手に入れられる訳ではないのです。
ゾンビになった所でいくらでも殺しようがあるのは、ゾンビを殺しまくってきた自分が一番わかっているはずなのです。
ゾンビになる事で自我を喪失して、娘を救出できなくなる事も、最悪、自分で娘を噛んで、娘をゾンビ化させたり殺してしまう可能性すらあるのです。

それなのにあらゆる可能性への思考を全て放棄して、娘を助けるには、自分がゾンビ化するしかないと思い、それを実行する主人公。


この映画には、こうした極論めいた謎の二択思考が無数に登場して、殆どの人が、謎の極論行動をしていきます。
あげればきりがないのでここまでにしておきますが、なぜこの世界の人達は他の可能性を考慮しないで、二択の思考しかしないのでしょうか?

もしかしたらキミセカの世界その物が、元々そういう二択思考しかできないifの世界だったのでしょうか?

本当に恐ろしいのは、ゾンビウイルス等よりも、極論めいた二択思考しか
行わない人間なのではと思わずにはいられない、世にも奇妙な物語でした。


最後にこの映画の感想を、短歌にして表したいと思います。

「注射が痛い」と娘が泣いたから 一月二十六日は楽園崩壊日

by間宮響

娘の画像が欲しかったのですが、ネットで見つからなかったので、これで手を打つ事にしました。

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