迷いは思考停止状態

よく「AとBで迷っている」や「Aをするか、しないか迷っている」という話を聞くことがある。昔の私も迷うということはよくあった。しかし、最近は迷わなくなった。正しい言い方をするなら、迷っていることに気付いたら原因を探るようになったというべきだろう。

例えば、大学院生でよくあるのは博士課程に行くか就職するかで悩むという事例だろう。私もかつてよく悩んでいた。

この時、問題になっているのは「博士課程に行く」と「修士卒で就職する」という二つの選択肢のどちらを選択した方が自分にとってより良い選択になるか?である。多くの学生は就職を経験したことがないので、どちらがベターな選択肢なのか想像できず、迷うということになるのだと思う。しかし、ここで迷う必要はなく、想像ができないのであれば、想像できるように就職した先輩や博士に進んだ先輩に話を聞くや、インターンに参加してみるなど、それぞれの選択肢を選んだ時に自分がどうなるのかを想像できるようにすれば良いのである。各選択肢に対しての解像度や理解度が浅いゆえに思考が停止してしまっている状態を、人は「迷う」と表現しているのではないだろうか。
こんなふうに書くのは簡単だが、先輩の話を聞くだけで解像度が上がるというのはなかなか難しいのが現状だと思う。そこで大事なのが、進路選択においては自分を知るということなのだろうと思う。自分はどうしたいのか?所属する組織に何を求め、何を与えることができるのか?自分の武器は何か?自分がどういう人間なのかを理解した上で、先輩たちに聞きたいことを聞くと解像度や理解度は一気に上がるだろう。結局、自己分析ができていれば迷いは減るということだ。

多くの人が抱えている迷いは思考停止状態のことだと思っている。それならば、思考が停止している原因を突き詰めて行動してみると迷いは少なくなるのではないだろうか?このような思考をしていると迷うという表現を使うことはなくなっていった。まだまだ完璧ではないので、これからも迷っているときは原因を突き詰めて行動したいと考えている。

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