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"月"という映画を観た。

私はあなたを絶対に認めない
自身と対話するこのシーンで、何度も使われるセリフ。
本当は考えたくないし見たくないわかりたくないのかもしれない…現実問題として。
善意の立場、悪意の立場、それぞれの思想。
思い込んでしまった考えを行動にしてしまったことそれは、やはりダメなことであるし、認めてはいけない考え方でもあると思うけど、だとした時に、その考え方が一度でも思ったことはないのかと言われるとそれもまた難しい…。
少なからず、感情的なブレは持っていて、死ねばいいのに…と何かの場面で思ってしまったことはある。
と考えると、どちらにも同調してしまう心理がある。
環境に左右されている時もあると思う。

意思疎通が出来るか?喋れなければ出来ないのか?
判断基準があいまいさが人だとは思うけど、
場面を作り出す人らの個々の考え方が、とても重く、観ているこちらにのし掛かる。

映画自体も最後まで答えは出さないで終わる。
鑑賞後、歩きながらこの重くのし掛かる気持ちの落ち着かせ方を考えていた。
もちろん答えは出せない…

関わりたくない、少しでも身を遠ざけておきたいと考えている自分が居る。

現実に少なからず目を背けていることの事実は浮き彫りにはなった(実際知らないことだったから、知るきっかけになった)し、今は少なからず背けないでいく社会になってきているとも思うから、理解をして生きていける世界になってくれたらいいんだろうな。
きっとこーゆーことも本音?と訊かれたら、これもまた少し考えて言葉を選んでしまうのかもしれない。

今の世の中、"優生思想"が実際進んでいると思うし、
劣ったと自らが考えてしまう人も多くなってて、
枠に囚われてる人も多いと思う。
その逆に私が私が!と前のめりにらすげーすげーを推し進める人も増えているとは思う…。

自分だってあれやこれやできないと劣っていると考えることが多いけど、枠には囚われないように生きていきたいなと思っている。
そりゃー、無理をしているところもあるし、辛いこともあるし、善悪どちらも持ちながら生きているんだと思う。
綺麗事で、生きていける世の中じゃないのは、確かです。

p.s.
映画のラスト、回転寿司のシーン。
この2人のようになれるのか?どーなのかな?

ぼくは、お皿を運ぶトレイの摩擦音…
カタカタと…何故か耳に残っていて…
何事でもないコトがここにあるなと思いました。

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