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【日記】19歳、その4
純粋思惟による帰結=直観
直観というのは―使う人によって色々意味があるようだが―
直に観ること
見ることは現象学の出発点
観ることはなかなかできない
しかし皆、観ることを目的にしている、観たいと思っている、観えてくるものを探している、それが哲学
つまり思惟されたところのもの
見た(etc.)だけで観ることができる人がおそらく芸術家など。そして彼らの観たものと、哲学者の探し当てたものは、結局のところ同じである。それはすなわち、
本質、である。
本質というのは、色々なもの、こと、の本質であって、たった一つの何か、というわけではない。あらゆる「側面」であって、例えば自然のアルケ―とか宇宙の始まりとかいった一つだけのもの、というわけではなく、
あらゆるものの「実際のすがた」「それをそうならしめているところのもの」であろうか。
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