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【感想文】三大交響曲@芸術劇場8.18(前半)

2024の「芸術に触れよう」4回目は、初めて友人を誘って行った。その友人はクラシックのコンサートは初めてだという。だがそんな友人には今回の曲目はベタすぎるゆえにちょうどよかったらしい。「未完成」「運命」「新世界より」というラインナップだ。
池袋の芸術劇場、読売日本交響楽団、指揮は出口大地氏。

シューベルト「交響曲第7番ロ短調D759〈未完成〉」。この曲はもともとシューベルトが意図して第2楽章までで終わらせたいわゆる標題音楽ではないようだが、形式的にみても、交響曲として典型的な4楽章での構成が、その半ばで終わっていることと、純粋に聴いてみた感覚からみても、一般的な交響曲らしい(全ての)流れが感じられないことからして、やはり「未完」の感は否めない。そこには諸説あるようだが、それは措いておこう。

この日の演奏はだいぶテンポが遅いものと感じた。出口氏の指揮は初めて聴いたが、最初はずいぶん細やかに感じたので、もしやこの指揮でも、一つ一つの音を丁寧に拾いすぎるあまり、音(楽器)どうしがぶつかって主張しすぎ合ってしまうのではないかと恐れた。だがそれは杞憂だったようで、テンポは遅いものの、緩急つけた巧みな指揮である。気になったのは数か所だけだ。途中、ティンパニーが大きすぎてヴァイオリンが隠れてしまったと感じる部分があった。また、ヴァイオリン(左)とチェロ・コントラバス(右)が、私の耳には、であるが、完全に5対5で競合して聞こえた箇所があった。だがそれはそれで迫力はあった。指揮は、繊細な棒や指の使い方と、割とおおまかな腕の振り(大きい身振りという意味ではなく、いい意味で大雑把な振り)との使い分けがなされていた。

お恥ずかしながら、私は幼少期からクラシックを聴かされてきたとはいえ、聴かせていた張本人である父が偏食気味だったこともあり、私も聴きこんだ曲と、有名でありながらある年齢までまともに聴いていなかった曲と、二分される。「未完成」は後者である。そして、ここからはクラシック以外興味がない方は読み飛ばしていただいて構わないが、音の重なりが重厚なゆえに私が大のファンであるX JAPANの29分30秒で1曲となっている「ART OF LIFE」には、この「未完成」の第1楽章の主題が、繰り返し再現されている。音型を変えつつ、随所に散りばめられている。特に聞き取りやすいのは前半の速い間奏部分(バンドプラスオーケストラ)、(賛否あるが)ピアノソロ部分、そして終盤近く、の三か所であろうか。

私にとっては順序が逆であったのである。「ART OF LIFE」→「未完成」。だから「未完成」を初めて聴いた時、それは「クラシック」ではなく、すでに「ロック」だった。(もう少しこの2曲について書こうと思っていたが、確認のため久しぶりに「ART OF LIFE」を聴いていたら、これを聴きながら遺書を書いていた時の自分がよみがえってきて、かなりしんどいので、ここでやめます。)

さてシューベルトであるが、最後にもう少し、考えたことを書いておく。気になるのはやはり「未完成」とよばれているゆえんについてである。さきほどは一旦措いたが、たしかに諸説あるようで、事実としていえることは、彼が交響曲を音楽協会への返礼として送付するはずだったのが、第1楽章と第2楽章だけ送付したのち、別の交響曲を作曲し始め、ロ短調(未完成)は完成させる前に亡くなったということだけである。こういった経緯についても、今回はあまり予断を持たずに聴こうとあえてしたのだった。そのうえで思ったことは、この曲がやはりある程度「唐突な」終わり方を感じさせるということだ。では何が唐突に終わったのか。唐突な美の終わりか。あるいは唐突な生の終わりか。いや、あるいはこの「未完成」(第1、2楽章)でもって、一つの「完成」なのではあるまいか。

芸術作品は、作者の手から離れた瞬間から、一つの別個の存在として、作者からは全く独立して存在するものだから、それをどう受け取るかは受け取り手にゆだねられている、とするのが私の一貫した考えである。だから「唐突な何かの終わり」を感じようが、別に構わないのだが、これはいささかファンタジックに過ぎるかもしれない。だが、これをもってして「一つの完成なのではないか」とする見方は、実際、あるようだ。

この曲は標題音楽ではないとしても、仮にシューベルトが、第2楽章までを「作品」として意識し、そこに完成度の高さを見出して、第3楽章は書きかけで終えてしまった、むしろ蛇足だくらいに思って。そこにはある意味「唐突な(完成を予期させない)終わり」がすでに含まれていた。だがそれをも含めてこれが彼の一つの「完成した作品」だとしたら。

想像は広がる。真実はもう分からないが、私たちはただ音に戯れ、ときにメロディに酔い、構成の美に感動する。ただただ純粋な音楽体験が、私たちに遺された、偉大な財産であろう。








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