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悩むって悪いことなのか?心理学や運命学を学んで変わったこと。




最近、なんで占いをやろうと思ったの?と聞かれたので、なんで学び始めたんやったかなぁと思い返していました。



まず、子育てに悩んで学び始めたアドラー心理学。

そこで出会って仲良くなった方が、当時ミシンで娘の服を作るのにハマっていた私を、一緒にハンドメイドのイベントに出ないかと誘ってくれた。

その参加したイベントで出会った、とても素敵な作品をたくさん作られている作家さん。実は以前から作品が素敵で、作っているのはどんな方なんだろうと気になっていたのですが、その方とお話する機会があって、そのとき本当に偶然、今の占いの先生を紹介していただいたのです。


今考えると本当に不思議なのですが、占いを学びたいけど良い先生知ってますか?みたいな質問をしたわけでもなく、いろんなことを話していて、その流れで、一回行ってみて!みたいな感じで。


先生を紹介していただいたとき、私は占いというものがどういうものなのか全く知らなかったし、自分が占いをしてもらったことも友人に誘われて行った、たったの1回だけで、彼氏と今すぐ別れなさいみたいなこと言われたし、むしろなんとなく印象はよくなかった。


でもなぜかその時は一回行ってみようと思ったんですよね、不思議。


一回行ってみたら、もうそこからは、ただひたすらに、何これ面白い、もっと知りたい、めっちゃおもしろい!です。


だから、なぜ占いをやろうと思ったのかと聞かれたら、偶然にも、学ぶ機会に恵まれたから、心の赴くままにやりました、という感じ。



そして、心の赴くままにやってみたら、どうだったのか。



私はずーっと悩んでいたけど、なんで悩んでいるのかは、分からなかった。


ちょっと意味が分からないかもしれないけど、本当にそのままの意味で、ずっとモヤモヤしているけど、その理由がはっきり分からなくて、悶々とするみたいな。



でもこの学びを始めて、いろんなことを知るにつれ、


こんなに悶々とする毎日でも、それでも私は、


今こうやって生きることを望んで生まれてきたんやなぁと。



「今生きている」ということを強く意識するようになったのは、死産の経験もかなり大きいけど。



この悶々と悩んでいる「自分」で

今を生きるために存在しているのだと気付いた、という感じ。




四柱推命では、自分を表すところに、別名「迷い星」の「偏印」があるし、

西洋占星術では、柔軟宮だらけ。


12星座を共通する性質で分けると、「活動宮」「不動宮」「柔軟宮」の3グループに分かれます。


今やるべきことにまっすぐ、物事をスタートさせる力がある「活動宮」

でも今ここだけではいけないので、


過去から未来までを見据えて、

活動宮が始めたことを粘り強くやり続け、安定させる力がある「不動宮」


そして、活動宮と不動宮の間を繋いでいく柔軟宮。

不動宮がやっていることを継続しつつも、これはもっと違う形でもできるんじゃないかとか、このパターンもやってみようとか、ついでにこれもやっとこうとか、いろんなことを同時進行できるマルチタスクな柔軟宮。


「悩む」ということは、いろんなことに「向き合って考えている」ということ。

あーでもない、こーでもない。
これもいけるし、あれもいけるし、そういうのもありよね、と。


選択肢が増えすぎて、もう結局どれにしたらいいのか分からなくなっちゃうけど、

でも、いろんなこと、一つ一つに可能性を見出したいのです。


今一番大事なことを決めるのは、活動宮にお任せする!として。


だから、悩むことを私はこれからも続けていこうと思うし、

というかやめられないし、それが私なのだ。


もううんざりなことは多々あるし、それに飲み込まれないように気をつけながら。


つまり、変わったのは見る視点だけで、学ぶ前も後も、

私自身は何も変わっていない。


悩んでいることを良くない、と思うのか、

一つ一つ全てのことに可能性を見出したいから、だと思うのか。



そのままの私をどの視点で見るのか。

この学びは、そんな視点を変えるきっかけになると思うのです。

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