すごいぞ 「さんぽセル」
ラン活という言葉をご存知だろうか。
小学校に入学するに当たり、ランドセルを事前に購入しておくことや、その準備を行うことを指す言葉らしい。
正直、たかだか鞄一つを買うだけで大げさな話であるが、なにやら色々あるらしくランドセルの闇は深い(実体験)。
さて巷では、ランドセルが重たくなってきている問題に対して解決策を提示した現役小学生考案の「さんぽセル」という便利道具が大人たちの批判の的になっているというニュースが話題になっていた。
今回はこの商品とその是非について考えてみようと思う。
まず、画像を見ていただこう。
どう見てもキャリーバッグである。そう、早い話がこのアタッチメントをつけるだけでキャリーバッグとしても使えるし、もちろん付けたまま背負う事も出来るという2wayの持ち方ができるという優れものだ。
これ、何気にすごい。
重いランドセルを毎日使うのが苦痛だという問題意識から有効な解決策を導き出している。これぞまさに文明の発展と技術の進歩を推し進めた、人間の英知の結晶であろう。
それを小学生が発案して販売までこぎつけるなんて、今後の活躍に期待が出来るというものだろう。と、称賛を浴びせればよいものの、何故か批判的な意見が出てきているということだ。
ここでその一部を紹介したいのだが正直に言って屁理屈レベルのものが多いのでこちらは割愛させてもらおう。
さて、色々な意見を見ていた所、このさんぽセルやランドセルが重たい問題を考えると社会的な問題がそこに潜んでいることに気づいた。
1.そもそものランドセルが重たい原因
ランドセルが重たくなければこの商品は必要ないので、その重さの原因はおさえておきたい。
・教科書自体が重くなった
→可読性や理解の底上げをはかるため、文字を大きくしたりカラー印刷を多用したことにより、教科書自体の総重量が昔に比べて重くなる傾向にある。
・置き勉(教科書を学校に置いておくこと)を禁止している学校が存在している
→その日の授業に使う教科書や副読本を毎日持ち歩かなければならない。
この2点の改善案として、タブレット学習の推進を図るという案があった。
確かに、タブレットを活用すれば教科書を持ち歩く必要はなくなり、置き勉という概念はなくなるか、少なくとも問題視されることにはならないだろう。
タブレットを使うことで、ランドセルが重たい問題のそのほとんどは解決しそうである。
その一方で、視力の悪化などの健康被害が心配されている。一日中タブレットを凝視することになると、その悪影響は確かにありそうだ。また、これは個人的な意見ではあるが、タブレットではメモ書きなども何かと不便だろうから、がっつり勉強するのにはあまり向かなそうな気がする。
それならばと次に意見が出たのは、教科書を家と学校の2冊用意するという方法。あるいは、学校のものを共用にしてしまおうという方法。
確かに、これならば持ち歩く必要がなく、自宅でも学習できる。しかし、物理的に別のものであると、メモ書きなどがリンクされないのだ。授業中に重要だからと線を引っ張っても自宅の分にまで反映されない。
つまり、物理的な教科書は必要であり、かつ持ち運ぶという動作を省略することもできない。したがって、次の対策は教科書を物理的に軽くすることを視野に入れる必要がある。
教科書を上中下巻くらいに細分化してしまったり、文字の拡大やカラー印刷を放棄すること。特にカラー印刷での理解力の補助に関しては、それこそタブレット端末を利用すれば、これを代替できると考えている。
昔は、白黒印刷でも勉強していたのだから、やってやれないことはないはずだ。
だが、これらの問題は個人の力では実現しにくいというところにある。まさか、教科書を自前で印刷しなおすようなことは誰もしないだろうし。
以上のことから、ランドセルが重たいという事実を解決することは困難なことはわかった。
2.ランドセルにこだわらなくてよくね?
さんぽセルはキャリーバッグ状に変形させる道具である。ということは、極論最初からキャリーバッグでもよいわけだ。
あぁ、しかしどういったわけか、ランドセル信仰というものがあるらしい。なので、ランドセルでないということが有り得ないようだ。(私はランドセルを使ったことがないので甚だ理解できないし、たとえランドセルを使う合理性があったとしても強制されることは違うと思っているのだが。)
この信仰がゆえに、重たい教科書をランドセルで運ばなくてはならないという義務が生じている。本記事においては、この点に関しての異論は認めないものとする。
さて、そういわけなのでランドセルを利用して重たさの軽減を図るという手法を考えてみよう。なお、ランドセル自体を軽量化しても教科書が重たいのであまり意味はないものとする。
・ランドセルを浮かす
→推力発生装置をランドセルにとりつけてロケットよろしく飛ば……やめとこう。
・負荷を分散させる
→両肩に集中する負荷を別の部位にも流す。具体的には腰用ベルトを取り付けることで実現できる気がする。最近の赤ちゃん用の抱っこ紐はそういう商品が人気だ。しかし、これも自分一人で総重量を負担しなくてはならない事に変わりはない。
そこで
・車輪を利用した力学を利用する
→車輪つきのアタッチメントを装着して地面を転がすという方法。
これに落ち着いたのである。そして、ランドセルをランドセルとしても扱えるように2wayに出来ている点でキャリーバッグにも優るという具合だ。すごい。
しかも、机上の計算とはいえ物理学的に軽減される負荷を表示できるので、感覚的にも数値的にもその効果が期待できる代物だ。すごい。
3.安全面に配慮されている必要性
批判のうちに無理筋なものがあった。いわく、ランドセルは転倒時などに頭部を守る役割がある云々。
この意見の妥当性はさておき、ユーザーが小学生であるということを考えると、安全面に対してはしっかりとされていることが望ましい。
そもそも、ランドセルが重たいことが原因で起こる健康被害を憂慮しての製品であるのだから、その製品で怪我でもしようものなら目も当てられないわけである。
ここで大事なのは、使用に際しての安全面である。例えば、解説書通りに取り付けていたにもかかわらず、歩いている時に外れてしまった。などは製品の責任になるだろうから論外だ。
しかしだ。仮にこの商品を使っていたから転倒して、普通にランドセルを背負っていなかったから頭部に怪我をしたとしても、それをこの製品のせいにするというのは無理があるだろう。つまり、この製品を使うことによるリスクは使用者側に帰結する可能性が高い。これは、普通のキャリーバッグで起きた事故と同様と考えるのが筋だということだ。
ここで、判断力や俊敏性や筋力に欠ける可能性が高い小学生に、そういった危険をはらむ物を持たせて良いかという意見があがる。
しかし、そういう意味でいうと高齢者ドライバー問題やシルバーキャリーはどうなるのか、どこで線を引くのかといった判断も迫られるため、さんぽセルに限った話ではないので批判としては主語が大きくなりすぎる。
以上のことから、製品として構造や通常使用に際して不備がなければ、安全面においても批判する点はないと考える。
まとめ
早い話が、「使いたきゃ使え。でも、何かあっても自己責任な」ということである。
雨が降っているから片手を塞いででも傘をさす行為と、ランドセルが重いから片手を塞いででもキャリーする行為に論理的な差異は感じない。どちらも、レインコートを着たりランドセルを背負ったり、あるいはタクシーを利用するなどの代替手段はあるものの、個人がその手段を選択しただけのことである。
ということで、やる前から批判するほどのものでは無いというのが私の意見だ。
奇抜なアイデアは誰かが過去に検討して敢えて実現しなかったもの。という言い回しは目にするものの、その”重さ”によって歩みをを止めてしまうよりかは、どんな目が出ようとも賽は投げられるべきだと、このように思う。存外に大きな目が出て大きく前進できるかも知れないのだから。
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