人を大切にできないと人に大切にされない?
『自分がされたら嫌なことは人にするな』
この考え方は出来ないよりかは出来たほうがいいでしょう。でも、この考え方は万能じゃない。
自分なら何をされても構わないから、相手にも何をしても良い。という理屈を持った奴を相手にするとたちまちこの剣は空を切ることになってしまう。
そんな奴いるかって?
ここにいる。
あ、いやちょっと違う。
何をされても構わないけど、私はしない(ことのほうが多い)。でもやる時は遠慮なくやる。が正しいかな。
だから、この『自分がされて嫌なことをするな』という理屈は嫌いです。皆が大好きなのは知っているから利用はするけど、本質的には嫌い。
自分を守るために仮想敵を思い浮かべて、自分を被害者にしてダメージを推し量って、相手にそれを負わすことをいけない事として、自分のその行動の選択肢を封じる。
これって相手のためですか。それって独善じゃないですか。この思考の中に、目の前にいる相手は存在しますか。守りたいのは自分ですか。自分がしないから相手にもしないでってお願いしている、それって本当に尊ぶものですか。
と、風鈴さん(仮名)の記事を読んでいて厳しい言葉が沸いてきてしまいました。
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はい。実は特定の方向けの記事です。が、多くの方に通じるものがある気もしますので、このまま書きたいと思います。
※
恐らくですが、論理の前提から間違っている。というよりも、私同様『自分がされて嫌なことはするな』という呪いの論理が不要なのが風鈴さんではないでしょうか。
風鈴さんは、たとえ自分に大切にしてもらうほどの価値が無いと自身で思ったとしても、相手を同じ様に扱う人ではないでしょう。『人に雑に扱われるから、人を雑に扱うのが普通である』なんて結論、本当は導けないでしょう。少なくとも私はそう思っています。
悪意のある風や傷つけられるような風、それこそ雑な扱いを受けても、涼やかに変わらぬ音を鳴らすのが風鈴さんでしょう。その音を濁らすことは、良くも悪くも出来ないのではないかと思います。
それでも、自分の音に嫌気がさすことはあるでしょう。そんな時には、無風の場所で心の声に耳を澄ませばいいと思います。荒れ狂う大海にも必ず凪は来ます。
風鈴は、風を受けて鳴る音は一定でも、形状・大きさ・材質で、その音色自体は変化させられます。風鈴さんの望む音になるまで悩めばよいのではないでしょうか。
そこに怒りは必要ですか。対等な関係が必要ですか。無理はしていませんか。風鈴さんが間違っていたとして、それを責めるのは誰ですか。
本当に必要なのは、ありのままの音を好いてくれたり、風を遮ったりしてくれる人ではありませんか。ただそこに居てくれるだけで、風に吹かれるだけでどんな音でもいいと言ってくれる人ではありませんか。
変わりたいという気持ちは素晴らしいと思います。でも、変わらないと人に大切にされないわけじゃない。
過去のことは知りませんし、今のことだって表面上のことしか知りえません。でも今、風鈴さんの周りにいる人は、風鈴さんのことをどう思っているのかな、と思いを馳せて言葉にしました。
そちらは、既に優しい風が吹いていたので、私のこの暴風が他の風たちの余韻を消してしまいそうだったのでこちらに記しました。が、こんな風でもきっと同じ様に風鈴さんは鳴るのだろうなと思っています。
私は『NEO UNIVERSE』が好きですが、この記事にはこちらが合うかな、と。
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