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エッセイ・コラム・考察など

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毒あり、偏見あり、自分の世界あり。
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2021年9月の記事一覧

トロッコ問題から考える意思決定の強さとは

トロッコ問題というものがある。 そもそもこれは、倫理観とかを考える話で、それに関して言え…

vantile
2年前
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心のパレットに自分だけの色をもつ

 流行に流されやすい人や真偽不明の噂話に振り回される人をみて、自分がないのだろうなーとか…

vantile
2年前
7

スマホがもたらした“日常化“の驚異~守ろう僕らの創作物~

スマホのおかげで便利な世の中になっている。もはやこれが無い生活は耐えられない人間も出てく…

vantile
2年前
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【エッセイ】恋するやぎとnoteの関係

noteを見ていると、記事同士で会話しているような錯覚に陥ることがある。これは、自分の記事や…

vantile
2年前
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現代の詠み人知らず

素敵な和歌が残り続けている。作者は不明。詠み人知らずだ。作者不明だからこそ味があるものも…

vantile
2年前
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読書感想文 「反出生主義をめぐる物語」

「親ガチャ」という言葉をきいて、子供を持つ親としておぞましさを感じた。こんな言葉が我が子…

vantile
2年前
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親目線で突き止めた「親ガチャ」の正体と果たすべき親の責任

「親ガチャ」という言葉について考えた。note上にも記事がたくさんあり、多くの意見があったが、私が目にしたもののうち、ある1点に深く言及したものはなかった。 それは「親ガチャ」という表現が適切かどうかという点だ。私がこの言葉を聞いたとき感じた胸の嫌な感じは、ガチャという言葉に起因するはずだ。よって、この不快感を払拭するには、「親ガチャ」はガチャかという点を考えることは避けられないと私は感じた。 無論、もう既に「親ガチャ」という言葉で認知されている時点で、その言葉の成り立ち