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北の大地を巡る列車、そしてその風景 (2)長万部―小樽間

前回に引き続き、北海道へ行った際に見た風景をまとめていこう。

①「山線」の風景(1)長万部―俱知安間

長万部から小樽へは函館本線を使って移動した。長万部―小樽間は距離的には函館本線の方が近いのだが、特急を使って室蘭本線で札幌へ抜ける方が早く着く。それにそっちの方が大きな街もある。というわけで、非常に閑散としていて、のんびりとした旅を楽しめるのではないかと安易に考えていた。列車に乗り込むまでは。

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長万部での滞在を満喫した後(この時に買ったのが『礼文華観光案内 微改訂』だ)、俱知安行の普通列車に乗り込むと、すでに多くの乗客がいた。荷物の様子からしてほぼ全員観光客であった。ロングシートに座ることはできたが、全くの予想外であった。

「ローカル線=空いている」の図式は成り立たないのだと改めて実感させられる。かといって、1本前は6時03分発、いくら何でも朝が早すぎるし、函館に宿を取っていた以上、この時間に乗るのは不可能だ。そして、1本後は16時38分発である。道中で日が暮れてしまう。となれば、13時29分発の俱知安行に乗るほかない。そう考えると、観光目的で長万部―小樽間を利用しようとすると、この列車に乗るしかないのだ。

芸備線で東城へ行った時にも思ったことでもあるが、このダイヤでどうやって日常利用できるというのか?という印象が拭えない。もっとも、過疎化が進んだ結果、このパターンが経営上最も合理的であったのだろうから、企業側に問題があるわけでもない。民営化の負の側面と、過疎化による深刻な問題を同時に垣間見るダイヤである。

車内は大勢の人がいても、車窓から見える風景の中に人家は少ない。なんでここに鉄道を通したのかと疑問に思いたくなるような場所を走り続ける。やがてニセコが近づくと、進行方向左側にはニセコアンヌプリ、右側には羊蹄山がそびえるようになる。風景を見るだけでもニセコに来る価値はあると思える風景である。そして、スキー場でも有名だ。夏も冬も観光が楽しめるし、そこに住めば、日常的にそれらを満喫できる。人気が出るわけだ。

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観光地ニセコを出ると次は比羅夫駅に着く。車内の自動音声がその旨を告げる。しかし、この駅だけは他の駅とは少々異なった。比羅夫地区へ行く場合は、バス・タクシーがないので、次の俱知安駅から行くように、とのことらしい。しかも、ここはニセコと俱知安の間。海外からの観光客も多いエリアだ。ということでご丁寧に英語でも同じアナウンスがなされた。ではなぜ、そこに駅があるのだろう…?昔はもっと大きい町だったのだろうか?なんていう疑問が次々と浮かんでくる。疑問を解消できないまま駅に着くと、今度は目の前でバーベキューをしている人たちがいる。もはや意味不明であった。

後に調べると、比羅夫地区までは確かに距離があった。昔は交通手段があったのかもしれないが、今は俱知安へ出る方が良いのだろう。比羅夫駅に行っても買い物1つできない。単に列車に乗れるだけだ。それが例のアナウンスにつながったのかもしれない。そして、バーベキューの件は、駅舎を使った民泊施設が比羅夫駅にあることが分かった。その利用客がバーベキューを楽しんでいたのだろう。それにしても、何も知らない私のような人には列車の左右に広がるニセコ火山群、羊蹄山の雄大な姿を楽しむことをも忘れさせる光景であった。

②「山線」の風景(2)俱知安―小樽間

俱知安から小樽までは比較的本数がある。俱知安では乗り継ぎが良かったので、この駅では途中下車せずにそのまま小樽行列車に乗り込んだ。寄り道する手はあったが、次の列車では日が暮れてしまうので、車窓の風景を楽しめないので、仕方ない。今度は進行方向左側の座席に座れた。函館本線のこの区間で使われるH100系は片側が1人席、反対側がクロスシートというちょっとおもしろい造りになっていた。この造り通路が広くとれるので、観光客の多い路線には好都合な造りだ。

俱知安駅を出た後、余市までは長万部―俱知安間とあまり変わらない。見える山が変わるくらいだ。しかし、山を下り、ウィスキーの街余市にくると、風景は明らかに変わる。駅そのものも規模が大きくなるし、やっと、日常利用客らしき人が次々と乗り込むようになる。列車に「日常」が入り込んでくる。公共交通機関は彼らがいるからこそ成り立つのだ。その活気と久々に出会った気持がした。

余市から小樽の間は改めて山間部へ入る蘭島・塩谷と言った駅を通る。この2駅は駅舎がそっくりだが、雰囲気は明らかに異なる。人々がそれなりに利用する蘭島に対し、山中に造られたかのような塩谷駅はほとんど乗降客がいなかった。次の駅は小樽でも、その街の住宅街は1駅隣までは続かない。急峻な山も近くに聳えている。無理もない。

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塩谷を出て、山を下る途中、だんだんと向かいの丘に住宅地が広がるようになる。それが小樽の市街地に入ったことを告げてくれるのだ。マンションやビルも目立つようになる。やがて列車はゆっくりと小樽の駅へ到着した。向かいには札幌・千歳方面へ向かう快速列車が待っており、次々と人々が乗り込んでいった。この光景だけ見ると、かなり活気があるように見えたが、跨線橋の先にあるホームには列車が止まっていなかった。元気があるんだかないんだか…

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かつてはニシン漁、石炭の積み出し港として栄えた小樽の街も、その時の栄華はもうない。むしろ、その時の遺産で生きている街と言ってもいいかもしれない。小樽運河や倉庫街、手宮線跡などの観光地には多くの人がいたが、観光の目玉を外れると、ほとんど人がいない。北海道を代表する観光地とはいえ、そのスポットライトが当たる範囲は局所的だ。その光と影をはっきりと感じられる街であった。

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なお、長万部―小樽間は北海道新幹線の札幌延伸後に廃止検討されている区間でもある。大都市間を結ぶ「急ぎ」の鉄道が開通すると、地域の交通手段を廃止する、明らかにロジックがおかしいが、日々利用する人がそれだけ少ない証でもある。実際、観光客を除いた時の乗客数はかなり少ないように感じた。地元の人たちが利用していなかったら、「民間」企業として経営が成り立つはずがない。公共交通機関の「公共」の意味合いを改めて考えなければならない、そんな気持ちにすらさせる道中でもあった。

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