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北の大地を巡る列車、そしてその風景(3)小樽―旭川間

前2回の続きである。旅を終えて早1か月ほど。今はもう霜が降りたり、山には雪が降り出したりしている頃であろうか。当時はまだ季節の境目。朝晩は冷えてきていた(旭川では最低気温が10℃以下になる日もあった)ものの、昼は夏のような暑さであった。

①鉱山から小樽へつなぐ道、そして危険な廃駅「張碓」

小樽を観光した後、函館本線を利用して次の目的地、旭川へ向かった。旭川は今回の道北巡りの際、拠点とした所である。

札幌―旭川間は特急の指定券を事前に確保していたので、小樽から札幌まで電車で移動した。小樽観光が一段落した昼下がり、駅に戻ると、岩見沢行の普通電車がすでに入線していた。快速を使うよりもこの普通電車で行く方が、札幌での接続時間を増やせる。そうすると、時計台・大通公園くらいなら回れるだけの時間を確保できるのだ。ということで、普通電車に乗り込み、進行方向左側の座席に座った。あまり、車体の掃除を頻繁に行っていないのか、掃除直前の車体だったのかはわからないが、窓は水垢のような汚れがかなり目立っていた。本来ならば、きれいな窓から外をゆっくりと眺めながら行きたいが、仕方ない。

定刻通りに小樽を出た。大抵の観光客は快速を利用するのだろう。かなり空いていた。札幌までの区間でハイライトになるのは、朝里―銭函間だろう。日本海の沿岸に沿って走るこの区間は、観光客にとってはビューポイントの多い区間なのだ。

また、この区間にはかつて張碓駅があった。この駅は張碓の町へ行く最寄り駅であったが、駅は海岸沿い、町は急峻な崖の上。九十九折りの坂道を登ってやっと町に到着する、そんな場所であった。張碓駅を利用して通勤通学しようものなら、文字通り「行きはよいよい、帰りは辛い」という駅だ。そんな土地ではクルマがない時は駅を利用していただろうが、立地からして車の方が圧倒的に便利。駅は次第に利用されなくなり、10年以上前に廃止された。

駅が廃止になった後、この駅を目指す人が線路内に立ち入って轢かれる事故もあったようだ。また設備も撤去され、痕跡はほとんどないというので、危険な廃駅「張碓」を目指そうなど、くれぐれも思わない方が良い。

当時の駅があった箇所の目印は海に突き出た恵比須岩だという。なので、海を眺めつつ、張碓駅の付近の風景も見てみようと、汚れで霞む窓から海の方を眺めることにした。

朝里駅を出たところから銭函駅の手前まで、スマホで動画撮影を開始した。何か見つけても一瞬で通過してしまうので、それを後に見直すためである。電車が海沿いの区間に差し掛かると、海沿いというよりも、「防波堤沿い」というべきようなところを走るところもあった。カーブでは進行方向前方で波が岸壁にあたって跳ね上がる様子が見えた。当日穏やかな天候であったが、荒れている日だと、かなりの迫力があるのではないだろうか。もしかすると、電車が波しぶきをかぶるようなくらいにもなるかもしれない。それくらい海に近いところを走る。

しばらく進むと、海に突き出た岩が見えた。恵比須島だ。それ以外にめぼしいものは見当たらない。右手はずっと急な断崖が続いている。「北の親不知子不知」という愛称をつけたくなるほどに。仮に私が張碓の住民だとして、さらに張碓駅が残っていたとしても、利用することはまずないだろう。そう思える。

駅はともかく、石炭を小樽まで運ぶには、この張碓周辺の海岸沿いに鉄道を敷いたことに驚きを感じる。小樽は良港だろうが、そこまで石炭を運ぶ道中は非常に険しい区間が待っている。それを切り開いてまで、鉄路を通す価値がその時代にあったことを、小樽から札幌までの区間は今に伝えているのだ。

余談であるが、この区間には思いのほか小さな港が多くあった。後に調べるとこの付近はシャコが多く捕れるそうだ。人間にとってはただの難所でも、シャコにとっては好立地、それが張碓なのだろう。そして、それを捕るために不便を承知で張碓や銭函に住む人々がいるのだろう。その人たちがいてこそ、寿司屋でシャコを見かけることがあるのだ。

②空知の空と大地はどこまでも広い

乗り換え待ちの間、札幌駅周辺を散策、時計台は人が多かったが、大通公園まで行くと、急に人が減った。時計台の前の道が狭いから混雑しているように感じた、ということだろうか。それにしても、街づくりを考慮すると、この時計台のバックに高層ビルが建つのは、景観上いただけないが、東京駅しかり、安田講堂しかり、「モノ」は残しても、その光景を残すことにはあまり興味がない、ということか。

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札幌から旭川へ向かう道中、札幌の市街地を抜けると、空知の農業地帯が続く。これだけだだっ広く農地が広がる様を見られるとしたら、あとは十勝しかないだろう。そう思えるくらい、両側に農地が広がる。岩見沢や江別、滝川、深川と言った町は比較的大きく、特急も停車する。しかし、大きいとは言っても、関東圏に置き換えれば、かなり小さな規模の町が点在しているに過ぎない。札幌の発展ぶりとは全くの逆だ。札幌への集積は、ある意味では他の都市から人々を吸い上げた結果とも言える。札幌への通勤圏以遠の町並みは、それを実感させるには十分すぎた。もっとも、その最たる結果が東京なのだけれども…。

農地はまさに実りの秋を迎えようとしていた。稲穂はすでに刈り取られているもの、刈り取り時期を待っているものが入り乱れていた。それらの農地がずっと遠くまで広がっている。こういった所で作られる食べものが都市に運ばれ、それを生産していない人々の胃袋を満たしている。雄大な空知の大地はどれだけの人々の腹を満たしているのだろうか?その規模は計り知れない。

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また、車窓の左右どちらから見ても、遠くには山が見える。岩見沢を過ぎるとそれらの山々が段々と線路に近づいてくる。石狩川が作り上げた広大な平野も終わりが近いように見えるが、ここから先がかなり長い。深川の先まで似たような風景が続くのだ。そして、この風景がいい。広大な農地とその奥に連なる山々。そして、それがどこまでも続いているかのように見える風景、やはり北海道の大地は雄大だ。

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