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困難な時にこそ「原点」に立ち戻る―熊田千佳慕『ファーブル昆虫記の虫たち(5)』―

次回哲学カフェの課題本は絵本『もこ もこもこ』である。それもあり、何年ぶりかに絵本を読んだ。絵本を買い、読む中で、ある絵本作家を思い出した。熊田千佳慕である。

熊田千佳慕のライフワークを追ったNHKのドキュメンタリーを観たことがあり、それ以降、気になっていた人物である。

ファーブルの『昆虫記』の絵を描くことを亡くなるまでライフワークにしていたという。結果的に5冊が刊行された。

書店で見つけたので、迷わず購入。買ったのは5冊目、結果的に最終巻となった1冊である。帯に書かれた熊田のメッセージからして、様々な苦労を重ねたうえで完成にこぎつけた1冊であることが窺われた。

刊行当時97歳。どのような思いが詰まっているのだろう。期待感を胸に本を開く。

『もこ もこもこ』とは大きく異なる繊細な絵のタッチ。繊毛のような毛まで丁寧に描き込まれている。絵画をそのまま絵本にしたようなつくりである。かわいくデフォルメするなんてことのない熊田の描き方は、昆虫嫌いの人であれば、鳥肌ものかもしれない。そうでありながらも、どことなく幻想的であり、ファンタジックな世界観を感じさせる。絵本のイメージとは程遠いものがあった。

また、文章は絵本にしては少々難解だ。読み仮名が振ってあるものの、基本的には親子一緒に読むことを想定しているようである。また、一連のストーリー仕立てというわけではないので、むしろ図鑑に近い感覚を覚える構成である。昆虫の生態を知るための「図鑑的絵本」といったところだろうか。その意味では、大人でも結構学べる要素のある本とも言えよう。

本の最後には「あとがきにかえて」と題し、5冊目製作中のエピソードが書かれていた。製作途中に大きな生活環境の変化が起こり、その困難を経たうえで作り上げられたものであったことが窺い知れるものであった。

 家内が倒れ、引っ越しをしたショックは大きく、すべての仕事が手につかず、全く無気力になってしまいました。

熊田千佳慕『ファーブル昆虫記の虫たち(5)』P.38

そのような状況下で熊田の生きる力を呼び戻したのが、ファーブルであり、ライフワークとしている『昆虫記』に記されている昆虫たちを描くことであったという。

 さまざまな苦労に巻き込まれ、めちゃくちゃに傷ついた心に、灯りをともして下さったのは、ファーブル先生でした。
 いつまでもこうして落ち込んでばかりいてはいけない。一日も早く作品を描き上げねば、目が覚めました。何とかして、このご恩をお返ししなければと、周囲の苦しみの壁を破って、筆が走り始めたのです。

熊田千佳慕『ファーブル昆虫記の虫たち(5)』P.38

帯に書かれていたのはこの一節であった。結果的に5冊目が最後となった『ファーブル昆虫記の虫たち』。その5冊目は困難な時に自らの原点に立ち戻り、そして完成させた1冊であった。

様々な困難がありながらも、自らの原点に立ち戻り、そこからまた新たな一歩を踏み出していく。年齢とは無関係に。この本はそのことの大切さを表す象徴と言っても良いかもしれない。

絵本でありながらも、そこに描かれているメッセージはまるで「一般人向け」であるかのような絵本。絵本は思っている以上に「こども向け」ではないのかもしれない。


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