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観察者を観察する何者かの存在を感じる小説―朝井リョウ『何者』―

『何者』に用意された落とし穴。落ちました。見事なまでに落とし穴にハマったことに気づいたときに、同じ穴の中から響く登場人物の叫び声と共に、穴の上から見下ろす人影を感じる。そんな小説であった。

自ら就活生というプレイヤーでありながらも、周囲をよく観察する拓人。夢を追う同居人、光太郎。また、その周囲の人達も各々の状況、考えに基づいて、全員共通のイベント、就活に取り組んでいく物語である。

就活と言えば、ある種の青春物語のように聞こえなくもない。しかし、そういう物語ではないように感じる。青春物語の裏にある、人間の性質、確かに刺さるものを感じる。それも何か、心の奥底にまで勢いよく深々と突き立てられたかのような、どぎつい一刺しを突き立てられたかのような小説だ。正直、このタイミングで読んで良かったと思う。これを就活の時期に読んでいようものなら、そして、読書会で紹介された後に読んでいなければ、メッセージが余計にグサリと刺さっただろう。

ちょうど、時代背景が現代(と言ってもLINE、Twitterが日常化した10年ほど前)だから余計に共感できてしまうのもあるだろう。

しかも、描き方がまた憎い。まさに読書会で紹介されたときのように、主人公の分析に入り込んでいってしまうような書き方をしている。読んでいて感じる登場人物の行動と主人公の分析が合う度に、その分析に取り込まれる感覚に陥る。だからこそ、終局図でグサリと刺さる。

物語を振り返ると観察者を高見から観察し、ここぞの場面で落とし穴にはめようと布石を打ち続けていたかのようですらある。落とし穴にハマった読者に対し、「君も同類でしょう?」なんて、作者に穴の上から言われているかのような感覚もある。いや、案外「私も似たようなもんです」と、自ら落とし穴にハマって言うのかもしれないが。

見事、負けました。まさにその一言である。同時に、単にここで描かれている世界観、価値観をそのまま肯定はできない。そして、まだまだ理解できないことも多い。またいつか読むことになるだろう。自分語りをやめたいと言いつつ、それをやめることができない承認欲求の塊と化した某氏らと共に。

読書会で紹介された本を1人1冊ずつ読むのも、これで一巡した。内容の違いはあれど、好きではない理由がわかるような気がした。『ゼロからわかる量子コンピュータ』を除けば、すべて著者が描く光景が、私たち自身にとって目を背けたくなる光景なのだ。しかも、単に描写しているのではなく、何か2歩も3歩も踏み込んで、よりリアリスティックに、よりダイレクトに描写しているのだ。だからこそ、怖くもあるし、言葉はグサリと心に刺さる。つくづく思うが、小説家が持つペンの力は本当に強い。

読書会から2週間。タフな本が続いた。少し気軽な本、例えば、みうらじゅん『自分なくしの旅』でも読みながら、次の読書会で紹介する本を探すことにしよう。

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