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見えない未来と見えてる今

お久しぶりです。

3週間ぶりにnoteを書きます。この3週間の間になにか心境の変化があった訳ではなく、単に忙しかったので毎週投稿出来ていませんでした。この間にもnoteに書きたいなぁと思うことは割とあったのですが、いまPCを目の前に振り返ると、キーワードは出てきてもその時の細かな感情までは思い出せないので、やはりその瞬間の感情を大事にするためにも定期的に振り返る時間は必要だなと思いました。

さて、今日は近々会社にて昇格試験があるのですが、いくらか思うことがあるので文章にしてみます。

昇格試験は半強制?

先日、人事部から昇格試験に関して連絡がありました。内容は以下の通りです。

昇格試験有資格者各位                       2022年度の昇格試験に関してご案内です。今回受験資格のある方は積極的に受験してください。つきましては、書類の提出をお願い致します。    ~以下省略~

つまり、「あなたは今回昇格試験を受ける資格があります。」という連絡です。この連絡自体に対してはなんの違和感もないのだが、「試験を受ける資格がある」ことが前提にあるにも関わらず、昇格試験に対する先輩上司同期の会話は、どんな試験内容なのか、自分の時代はこうだった、難しいとやだね、といった内容が中心で、そもそも試験を受けるかどうかについて問うことがないのだ。

なんだかモヤモヤする。

「試験を受ける資格があるのだから受けるのは当たり前でしょ。」という雰囲気、これがモヤモヤの正体だ。

試験や資格というのは、この先のキャリアを考えてその上で自分自身に必要だから受験をして、そのために努力するものだと思う。であれば昇格試験に際する上記のような人事部からの連絡は自身のキャリアを見直す絶好の機会ではないのだろうか。

明日、来週、来年、5年後、10年後の自分

最近、毎日のように今後のキャリアについて考えている。そもそも初年度から前例のない部署に配属されているので、常に自問はしているのだが、ここ最近はよりその問いに重きを置いている。

明日の自分はどうなっているのか、来週は、来年は、5年後は、10年後はどこの会社で、どんな役職で、どんな仕事をしているのだろうか。

いや、どんなことがしたいのだろうか。

なかなか答えがでないのが正直なところだ。果たして同年代の社会人で明確に10年後の未来像を描けている人がどれだけいるのだろうか。常に変化の激しい時代で生きてきたZ世代の宿命か。この問いに終わりはあるのだろうか。

お見送り

こんな状況なので、今回の昇格試験は受験を見送ることにしようと思っている。

1年に1回しか機会はないみたいだが、昇格という手段が自身にとって必要だと感じる場面になったら前向きに取り組んでいきたい。

もちろん、そんな格好つけずに受けれるものは受けておけという助言があることは十二分に理解しているつもりではあるが、今モヤモヤした状態であるのと先の見通しが持てていない状態での受験は違うと思うのでこの決断をする。

どっかで後悔するんだろうなぁー笑

でもそれで良い。

その時、その瞬間の感情を大事にしたいというのが私の考え方で、それを残すためにもいまこうしてnoteを書いている。見えない未来を考えるためにも、見えている今を大事にした。

今いる環境とその情報の中で自問して、自答して、行動して、振り返って、後悔して、喜んで、そんな感じで生きていく。

3週間空くとなんだかヘビーな内容になってしまう。来週は気軽に好きな食べ物の話でもしようかな。好きな食べ物は家系ラーメンかため濃いめ多めだ。またそれもヘビーな話になりそうだな。