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日本一になりキャプテンも務めた、強豪関西学院大学サッカー部を途中退部してスペインに行く理由

こんにちは。元関西学院大学サッカー部3年生の太田潤です。

ここでは私が

・なぜ、スペインに行くのか。

・なぜ、今なのか。

・何がしたいのか。

を私のサッカー人生を振り返りながら説明していきます。
少し長いですが、最後まで読んでくださると嬉しいです。

目次
①最高の組織を有り得ないタイミングで退部
 ⅰこれが日本一の組織
 ⅱ3年生でキャプテンに
 ⅲ退部。
②日本サッカー革命
 ⅰ“スペイン”で成功したい
 ⅱ誰でも挑戦しやすい日本サッカー界へ
③誰にも見せてこなかった挫折
 ⅰプロなんて余裕。
 ⅱ“何か”が足りないエリート
 ⅲお前は何で勝負する
④理想と現実の大きすぎるギャップ
 ⅰヤバい、このままじゃプロになれない
 ⅱ「評価されてから行けよ」
それでも俺はスペインに行きます。


① 最高の組織を有り得ないタイミングで退部** **

ⅰ これが日本一の組織

関西学院大学サッカー部といえば2015年に達成した大学サッカー界初の4冠のイメージが強いと思います。
私はこの大学に入って活躍すればプロになれると思い入部することを高校3年生の夏に決意しました。

関学サッカー部はA、B、C1、C2の4つのカテゴリーで形成されています。私はスポーツ推薦で入部したわけでは無いのでC2チームからスタートしましたが、数ヶ月でBチームのメンバーに入りIリーグ(アイリーグ)を戦うことになります。
Iリーグは日本一のBチームを決める大会でもあり私たちはブロック予選、関西大会を勝ち進み全国大会に出場しました。決して簡単な戦いではありませんでしたが全国制覇を達成し、いきなり日本一を経験します。

自分自身、日本一になった経験は無かったのでとても嬉しかったのと同時に

「これが日本一組織か」

と飛び込んだ環境の良さに驚きました。また、何度かAチームの練習試合にも呼んでもう事もあり1年目から本当に素晴らしい経験をさせてもらいました。

(全国大会よりも普段の練習の方が
  緊張感があり激しかったのを覚えてます)

ⅱ 3年生でキャプテンに 

3年時には4年生の人数が少なかったこともあり、Iリーグでキャプテンマークを巻いて数試合に出場しました。今までにも小中高でキャプテンを任されることはありましたが、負ければIリーグ敗退、4回生を引退させてしまうと言った状況でのキャプテンはなかなかの責任を感じました。

結果としてリーグ戦では負けてしまうのですがチームまとめ方や勝ち切り方を学べたとても貴重な時間になりました。

また在部中は大学サッカーのいい面も悪い面も見ることが出来ました。 

ⅲ 退部。

正直、私は関学サッカー部にとって
替えの効かない存在になりつつあったのでは無いかなと思います。
関学サッカー部は選手の主体性を大事にしており、チームのビジョンを自分たちで考え実現させていきます。私はミーティングの中心メンバーでもあったため自分たちが最高学年の関学サッカー部を最高のものにしたいと言う思いはとても強く持っていました。

しかし私は関西学院大学サッカー部
最後の1年をスペイン挑戦にかけることにしました。


② 日本サッカー革命** **

ⅰ “スペイン”で成功したい

ここからは私のこれからのビジョンについて話していきます。

私の人生の目標にスペイン1部リーグでプレーすると言うものがあります。
私は5部リーグからスタートする予定ですが、
1部リーグでプレーするために最初の目標として1.2年でスペイン語を完璧にします。
在学中にも授業や友人、留学生などに教えてもらい基本的な部分は勉強していました。

  (スペイン人の留学生と旅行
         こちらから見て右端が私)

スペインはヨーロッパのなかでも特に戦術理解を重要とするスタイルなので語学は必要不可欠です。なので語学と判断基準を擦り合わせていけばセミプロの4部リーグまでは行けると思っています。

またスペインは日本よりも選手市場が活発でビジネスライクなリーグです。そのため私は選手としての価値はもちろん大事ですが、本気で上を目指すならば交渉力付加価値も必要になってくると考えています。
要するにチームにより多くの利益をもたらせる選手が必要とされるのではないかと。

そしてまずは本格的にプロの3部リーグまでたどり着くことが最低の目標です。
そこから先は実力と運と努力で何とかしますし、そこまで行ければどこまでも行ける気がします。

なぜスペインなのかと言うとスペインのインテンシティかつインテリジェンスなサッカーが好きなのに加え、ラ・リーガエスパニョーラ(スペインリーグ)が
世界最高のサッカーリーグだと思うからです。

過去10年のFIFA年間ベストイレブンを見ると毎年平均11人中8人以上がリーガから選出されている計算になり、11人全員がリーガからなんて年もありました。

スペインのサッカー戦術は高次元なもので日本には存在しないサッカー用語(ペルムータ、スペラール、ディビディールなど)もあり、そんな世界でサッカーがしたいと幼いころから思っていました。

また選手や指導者がどんな事を考えているのか、サッカーとは何なのか、どう言う選手が評価されるのか食生活、筋トレに対する考えてなどにも興味があります。
この辺の専門的なサッカー知識や私の感じたことは随時notoで更新していくので楽しみにしていてください。

さらに日本人が最も成功しにくいリーグの一つと言う環境にも惹かれました。
中村俊輔でも上手く行かないのか、こんなとこで活躍できたら俺めっちゃかっこいいなと思ったことを覚えています。

ⅱ 誰でも海外挑戦ができる日本サッカー界へ

今の日本で海外挑戦と言うのは当たり前のことではありません。それは金銭的な面が一番のネックになっていると思います。
これからはもっと誰でも挑戦を出来るようにして海外仕込みの選手が逆輸入されることで今より断然面白いサッカーを日本で見られる様にします。

DAZNで海外サッカーばかり見ていると言う人も多いと思います。
何がそんなに日本のサッカーと違うのか、それは技術に加え、プレーの強度や迫力、自分を表現する力などにヒントがあると思います。
それは実際に海外で養うことが一番の近道だと思います。

そのために、まず私が新しいサッカー選手としての生き方を示し、海外挑戦を考えている人、プロを目指そうか迷っている人に希望を与え挑戦しやすいシステムを作って行きます。

(FC BARCELONA公式サイトより 
        そのうち俺に踏まれる芝生)

そしてなぜ今、このタイミングでスペインに挑戦するのかを説明するために私のサッカー人生を振り返ります。


③ 誰にも見せてこなかった挫折** **

ⅰプロなんて余裕だな 

私は小・中学校時代を地元の街クラブSC岐阜VAMOSで過ごしました。東海地方ではそれなりに有名で岐阜県を代表するチームの1つです。小学6年生の時には全日本少年サッカー大会にも出場しナショナルトレセンにも選出されました。
恐らく岐阜県のジュニアサッカー関係者で私の名前を知らない人はいなかったと思います。
正直、当時はプロになるなんて余裕だなと思っていました。

ⅱ “何か”が足りないエリート

そして私は中学に上がる時にJFA福島アカデミーのセレクションを受けました。
試験は一次試験から最終の4次試験まであり、結果私は補欠合格でした。結局アカデミーへの入団は許可されませんでした。
このアカデミーの試験に加え、小学3年生の時に名古屋グランパスのジュニアユースのセレクションを受けましたが、この時も最後の3人まで残り結果的には不合格でした。
当時はプラスに捉え今まで以上に努力しいい経験になったと思っていましたが、アカデミーでも似たような結果になったことから私は

“ちょっと上手い”だけ

の選手なのだと気づきました。

突き抜けるための“何か”が足りない。中学時代もチームの中心ではやってきましたが、この頃から自分には武器のないつまらない選手なのではないのかと感じることがありました。

そして中学卒業時にいくつか受けたJリーグの下部組織のセレクションでは端にも棒にも掛からない状態になっていました。
正直、努力をしている自覚はあったためとても悔しかったです。

プロになる人はこれだけは誰にも負けない
“何か”を確実に持っています。
それを探す必要がありました。

ⅲ お前は何で勝負する

結局、進路は千葉県の暁星国際高校に行くことになるのですが、この際もたまたま知人の紹介で練習会に参加することになります。そこで声をかけて頂き、千葉県で高校サッカーが出来るなんて最高だなと思い入部を決めました。

高校では1年生の時から試合に使ってもらい、またグラウンドまで数分の所にある寮で生活をしていたためサッカー漬けの日々を送っていました。
部活動としての練習は1日に1回だけですがそれに加えて朝5時からと夕食後にも自主的に練習をする。毎日自主的3部練。
そんな生活を送っていました。
なので今思えば怪我をする原因のほとんどが練習のしすぎだった気がします。

しかし、この高校3年間でやっとキックと言う武器を見つける事が出来ました。
周りは気付いていても、なかなか自覚するのが難しかったんです。

  (暁星国際時代 私は5番で副将でした)

そして進路を考える時、あるスタッフから薦められたのが関西学院大学でした。母校には関学の指定校推薦枠があったため運良く関学に行くことができました。

  

④ 理想と現実の大きすぎるギャップ** **

ⅰ ヤバい、このままじゃプロになれない...

そして関西学院大学サッカー部に入部しAチームに入れるよう頑張っていましたが、結局3年生の前期終了時でAチームの公式戦に出ることは1度もありませんでした。
去年まで同じカテゴリーでやっていた仲間たちが公式戦に出て活躍している姿を応援席から見ているだけの自分がとても情けなかったです。
本来なら今頃中心で試合に出て、プロの練習に参加して...
しかし現実は違いました。
早く追いつこうと努力はしましたが結果が伴わず、しまいには後輩に

来年のBのキャプテンは
         潤くんで決まりですね。

とよく言われました。
一見嬉しいことのようにも思えますがAチームで活躍したいと思っている私からすると内心とても悔しく「そんなふうに思われてるのか」と落ち込みました。

この時初めて、このままでは俺はプロになれないのではいのか?という疑問を持つようになりました。とても焦りました。
絶対にプロになれると思ってきたが大学ではAチームに入れずお前の居場所はBチームだと言われる。

私はとにかく色々な人に相談しました。
そしてそのことを高校時代の恩師に相談したところ

スペインに知り合いがいて
     潤なら紹介できるんだけどどう?

と言われました。

私の学部は、たまたまゼミに入っていなくても単位数が足りていれば卒業出来るシステムせした。実を言うとゼミに入ろうとしていたのですが申請ミスで入れなかったんです。そして卒業に必要な単位も3年生の間に取り終われると言う状態でした。

両親のサポート無しでは今までサッカーを続けることは不可能でした。そのため両親の大学は卒業してほしいと言う願いは必ず果たすつもりでした。
サッカー選手は自らの体が商売道具です。そのため若いに越したことはありません。選手としての可能性も若い方があります。

そうなった時
私の目標はJリーガになる事ではなく
スペインでプロになる事だったので、挑戦しない理由が無くなった瞬間でした。

挑戦しずに人生を終えるくらいなら今、
   人生が終わってもいい
とも思いました。

両親に思いを伝えたときはかなり緊張しましたが、私の決断を心から応援してくれました。本当に感謝しかありません。 

ⅱ 「大学で評価されてから行けよ」
     それでも俺はスペインに行きます。

スペイン挑戦に今までの全てを懸けよう。そう決意しました。
しかし周りの本音はこうでした。

大学で活躍出来てない奴が
        スペインで通用するのかよ

実際にこのような直接言いにくい事を伝えてくれた仲間やスタッフには感謝しています。そんな中でも私に本気で「頑張れ!」と言ってくれる仲間がいました。サポートしてくれる人がいました。

私にはやる覚悟と自信があります。
この自信は「俺以外にプロになってる人がいるんだから俺もなれるだろ」くらいのとても楽観的なものですが、自分よりも上手い人達がどんどんプロを諦めていく中で自分だけは自分を信じてやりたい。と言う思いがありました。

私が努力で夢を実現させていく姿を見て「俺にも出来るかも」と少しでも思ってもらえるようになりたいです。

努力は報われる事を証明します。
そのために報われるまで努力します。

なので見ててください。
私は本当に多くの方に支えられて助けられてここまでやって来れました。なので次は私がみんなを支えたい、希望になりたいと思っています。そのために挑戦します。

本気で挑戦した者にしか見えない景色があるはずです。
最高の景色をみんなに見せたいです。

必ず私がそこまで連れて行ってみせます。

これが私がスペインに挑戦しようと思った理由です。

最後まで読んでくださり本当にありがとうございました。

これからも現地で私が感じたことや、活動などを発信していきます。
もし書いて欲しい内容、見てほしいことなどがあればコメントお願いします。

喜んでお伝えします!


日本一になりキャプテンも務めた、強豪関西学院大学サッカー部を途中退部してスペインに行く理由


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