三人目の出産記録②緊急入院からよ陣痛促進剤で出産、出血多い
出産予定日前日に助産院の検診に行き、そのまま病院へ。その時の記録は①をご覧ください。
立ち会い出産を断念し、車椅子にのり運ばれるとき、看護師さんが「握手とかしなくて平気?」と声をかけてくれたので、ちょっと照れ臭いなあ。と思いながら、頑張ってきて、と握手!
エレベーターに乗る妻を見送ったあと、病院の駐車場にとめた車に戻り入院に必要な荷物を持って病院に預けた。
荷物は妻を連れて行ってくれた看護師さんがきてくれて、荷物を渡しあっけなく終了。
11:30病院を後にする
自宅までは車で10分。その間に色々考えた。
娘は給食なしで直接家に帰ってくる予定だが、助産院からの緊急入院でどうなるかわからないと学童に急遽お世話になることにしたのを後悔したり。
今回は写真たくさん撮るんだ!とかいいながら一眼のバッテリーも充電しておいて、俺は本当に立ち会わなくていいのか!?と自問自答したり。
このときには、私の親がこどもたのサポートをしてくれることは決まっていたから、やっぱり立ち会えばよかったと思ったり。
まったく優柔不断な自分が嫌になる。
たの記事とかTwitterで直感力が大切とか言っておきながら情けないと思ったり。
でも、妻とこどものことを思ってした決断だ!突き進むしかないと強い気持ちを取り戻したのは、自宅について2時間も経った頃だった。
14:12陣痛2分間隔と妻からのメール
なさけない父親が腹を括ったころ。妻からこんなメール。
今までの経験上、生まれるのは夜だとてっきり思っていたからちょっと驚きつつ、このままいけば自然分娩ができそうと言うことで、少しホッとした。
血圧148、下の毛も剃られた。と言う、何とも言えないメールも届きとりあえず元気を確認。
助産院ではそう言った処置はないからショックだったのかな。
こそからメールが途絶え・・・
15:51生まれたよメール
え!ハヤッ!おめでとう!
妻に言うと怒られるがあまりの速さに驚きを隠せないメールを返信した私。良かった良かった・・・となんとなく心から喜べないしホッと出来ない感覚がよぎるとこんなメールがきた。
出血が多いと言うメールを見て、そう言えば真ん中の子を産んだ後も出血がなかなか止まらず、処置をしたのを思い出した。その時は助産院で乗り切った。今回は病院だから平気だろうと、情けない父は自分に言い聞かせる。
16:58病院から電話
結構でかい病院なのに院長から直接の電話でますビビり、出血が2リットルもあるから輸血の準備をします。お父さんはもしもの時のためにTEL出れるようにしておいてください。と言う連絡だった。
さすがかなこの連絡には驚くが2Lがどれだけ凄いものかを知らない私はあっさりとよろしくお願いしますとTELを切った。
後で調べると、正常は500mlだと言うことがわかりまたビビる。
19:55妻からLINEビデオがはいる
院長からのTELがうそのように元気そうな妻の顔をみて、こどもたちも、もしもの時のために来ていてくれた私の祖父母も安堵した。
出血の確認やらなんらやで、今夜は分娩台の上で明かすと言う。
このあと、23:30くらいまでちょいちょい妻とメールを交わした。
このツイートのような状況で、このnoteを書いている。
人とのつながりが情けない父親を支えた
私の父は、私の顔を見てすぐさまこう言った。
1人で抱え込むな、出来ることは全部やってやるから何でもすぐに言え。
私の父のこの言葉は、お世辞や綺麗事ではなく本当にやってくれるから驚く。しかも一瞬たりとも嫌な顔や迷いを見せることはない。この考えは母親も同じだ。
現に今朝いきなりTELをして、もしかするとこどもたち見てもらうようかも、と言った5分後には次の日の仕事場休んだから大丈夫だと連絡が入る。
これは本当に心強く、今でも私の安全基地になってくれていることは確かだ。
それと、Twitterで交流する仲間やフォロワーさんのリプとてもとても励まされた。
頑張って!おめでとう!この一言がSNSで届く私はなんで幸せなんだと心から思った。
SNSなんて薄っぺらいつながりだと思っている人は、大きな勘違い。いざというとききっとあなたの心の支えになってくれる。
さてと、そろそろ寝なきゃ。
明日はいつも妻が送り出していた娘を私が送り出さなきゃいけない。人一倍繊細でやっと1人で小学校に行けるようになった。ママがいないことで不安と頑張らなきゃいけないと思う葛藤で大泣きした。
でもしっかり準備をしてくれたから大丈夫。
弟はパパと保育園に行く仲だからそれほど心配はなさそう。
つづく。
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