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ロンドンオリンピック銅メダリストの友が私に教えてくれたこと。


友の100分の1

私はいつものようにワイルドプレート(肉まみれ)を頼み、将士はサラダを頼む。もはやどちらが柔道家なのかわからない食事だ。そして今日もガストで将士のオリンピック話を聞いて感動する。

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西山将士(にしやままさし)
ロンドンオリンピックの銅メダリスト。階級は90kg級。身長179cm。血液型はA型。組み手は左組み。段位は四段。得意技は大外刈、大内刈、寝技[1]。現在は日本製鉄に所属

Wikipeidaより


獲得メダル

メダル

画像:wikipediaより



西山将士はナイスガイだ。
そして素晴らしい経験をしている。


友の素晴らしい経験を沢山の人に共有したい。このnoteを通じて彼の魅力が100分の1でも伝わったら嬉しい。



オリンピック銅メダリストのリアル


地獄は生ぬるい

私が柔道を始めたのは兄がやっていたから。それ以上でもそれ以下でもない。好きで始めたわけじゃないし、何か夢をもって始めたわけでもない。それでも兄のようになりたくて必死で努力した。楽しかったのは最初の1年ぐらいで、真剣に柔道と向き合うほど辛くなった。他の学生よりも努力していた自負はあったが小学生の時は全く結果が出なかった。私には柔道の才能がなかった。


中学の部活は才能がない自分を信じてくれる人が現れた。期待されたことは嬉しかったが、期待の先にあったのは地獄のようなトレーニングだった。辛すぎて練習の途中で何度も倒れそうになった。それでも強くなるためだと自分に言い聞かせて、素直に指導を受け入れて必死に努力した。その結果全国3位になり、まわりが私に対して「才能」という言葉を使うようになる。私はロボットのように監督からの命令に従っていただけだ。才能があるとすれば監督の指導だったのではないかと思った。


中学で結果がでたこともあり、高校では今まで以上に期待してもらった。中学時代の練習が地獄なら、高校は地獄の中の地獄だった。漫画北斗の拳でケンシロウが「貴様には地獄すら生ぬるい」と発言した。

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漫画 北斗の拳より


この言葉の意味を、高校生になって理解できるようになった。確かに地獄は生ぬるい。高校時代の練習は思い出すだけで吐きそうになる。それでも私はロボットのように毎日監督から与えられた指令を必死でこなした。凡人には努力することしかできない。


地獄のトレーニングを乗り越え、私は高校3年生の時に全国大会で優勝した。まわりは私を才能があると称えてくれた。


「柔道の素質がある」

「体格に恵まれている」

「動きが他の選手とは違う」


沢山の誉め言葉を頂いた。
褒められて嫌な気持ちになる事ないが、才能がないことは自分が誰よりも理解していた。私はただのロボットだ。



日本一になって諦めた

全国優勝の実績が評価されてジュニア日本代表に選出された。オリンピックを目標とする人たちと柔道をする機会に恵まれて私は心が折れた。


生きているうちに辿り着ける領域じゃない。


凡人がどれだけ努力しても辿り着く事のない領域を目のあたりにした。私は日本一の選手になり、日本代表に選出され、オリンピックは自分が目指す場所じゃないことを悟った。この世界は私のような人間が踏み込んでいい領域じゃなかった。



そして大学へ

大学はインカレのメンバーになることを目標として取り組んだ。ここでも地獄の練習が待っていたが、地獄に慣れている自分がいた。凡人が何かを得るためには、何かを差し出す必要がある。人生はいつだって等価交換であり、差し出したもの以上の何かを得ることはできない。差し出したもの以上を得たとしても、それは長続きしない。


凡人がインカレという不相応な目標を実現するには、それ相応の努力を差し出す必要がある。私のような凡人は「才能がないことから生まれる苦しみ」と向き合い続ける覚悟が必要だ。「努力で乗り越えられない壁かもしれない」という恐怖心と戦う覚悟が必要だ。「続ける理由よりも諦める理由ばかり考えてしまう自分の心の弱さ」と戦う覚悟が必要だ。

全ては自分で決めた道なのだから。



大学時代は結果として目標だったインカレメンバーに選出されることはできたが、2年連続3位に終わり際立った活躍することはできなかった。自分を信じることができず目標を低く設定しすぎたことによる意識の問題だった。

覚悟があっても、それに見合う目標がなければ無意味だと悟った。


社会に出た柔道家の無力

日本製鉄の柔道チームに誘われ社会人になった。まわりからは柔道とビジネスを両立するなんて凄いと褒められた。

だけど現実は違う。柔道の練習でフル出勤できない人間に重要な案件を任せられるはずがない。当然だ。柔道も仕事があるので学生時代のように全てを注ぐことができない。私はスーツを着た中途半端な柔道家であり、無力な社会人だった。


これが私の正体。
世間からの評価と現実のギャップに苦しむ凡人。


同期はいろんな仕事を任され成長していた。毎年差は広がり、その差が私と同期の間に距離をつくった。距離を作ったのは自分の弱い心だ。同期に対する劣等感、不甲斐なさ、焦りなど、色んな負の感情で自分の心をふさぎこんでしまった。


会社にいる全員が自分を使えないとわかっていて、それでもクビにされることがない。沢山の人から応援しているよと声を掛けられるのに、ずっと孤独を感じたいた。


社会に出て自分の無力さを知った。



無力な自分に残された道

柔道をダラダラと続けて仕事っぽいことをする毎日が苦しかった。採用してくれた会社に価値を提供することができない自分の無力さを痛感した。このまま無力な自分で終わりたくない....


オリンピック....


人生の全てを柔道に注ぎ込んで諦めた言葉。オリンピックなど絶対に無理だと理屈ではわかっていたが、たとえ無理な目標だとしても人生には挑戦から逃げてはいけない瞬間がある。それが今なんだと思った。オリンピックを目指したい...


生きている間に辿り着ける領域じゃないと思っていた世界を目標にしようとしている自分に戸惑いを感じた。同時に心の奥でワクワクするような気持ちも生まれていた。やる前から諦める人間よりも、挑戦してダメだったと言える人間になりたいと思って覚悟を決めた。


ずっと人生で無理だと言い聞かせてきたことが23歳になって目標となった。




それから4年後、夢は現実になった。


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オリンピックという目標

絶対に無理だと思ったことを目標とすることで、自分との向き合い方が変わった。今まではロボットのように監督に言われたことをこなすだけだったが、この延長線沿いに夢はないと確信した。

だから監督から提示された地獄すら生ぬるいと思えるようなトレーニングが終わった後に、自分でもっと強くなるための研究をすることにした。関節の動きも1cmの誤差までこだわって試行錯誤する日々が続いた。

自分で考えて行動するなんて当たり前の事だ。もちろん学生時代も自分で考えて行動したことはあるが、今思えばあの頃は「試行錯誤する自分に酔っていただけ」と表現するのが適切だ。

本当の試行錯誤とは、絶対に無理だと思える挑戦を信じた先にある。



意味は後からついてくる

なぜそんなに頑張れるのか? 動機は何か?と聞いてくる人もいるが、私は凡人なので一生懸命やった先に何があるのかなんて考えたことがない。他人の話を聞いて頭の中でわかったつもりになることはできるが、わかったつもりになった先に何があるというのだろうか。

一生懸命の先に意味が必要なら、私は中学で柔道を辞めていた。


人生で本当に大切だと思える意味や理解は挑戦した後についてくる。成功しようが、失敗しようが関係ない。自分のために必死で努力した先に、沢山の人と信頼で繋がる未来がある。

関係者の方、
応援してくれる方、
チームメイト、
監督、


スタート地点では「他人」だった人たちが、一生懸命努力した先に「信頼で繋がる人」に変わる瞬間が必ずある。自分のための努力に、他人のための努力が加わる瞬間が必ずある。スタート地点では想像すらできなかった「信頼」がゴールで待っている。それは勝ちや負けに比例するものじゃない。どれだけ真剣に目標と向き合ったかに比例するものだ。


私は金メダルが取れなかった。
多くの人の期待を裏切ってしまった敗北者だ。



それでも努力を共にした人とは今も信頼で繋がっている。敗北とは全てを失う瞬間ではなく、真剣に目標と向き合ったのかが問われる瞬間だ。



柔道が終わっても、人生は終わらない。

次はスポーツマンとしてでなく、サラリーマンとして金メダルを目指したい。才能がなくても命が終わる最後の1秒まで夢を信じて努力したい。今後はクリアソンと共にアスリートが社会で活躍するために何が必要なのかを研究して社会に貢献する。


もう覚悟はできてる。
この先に、素晴らしい出会いがあると信じて...


西山将士

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