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ある側面から見た個人的な東日本大震災からの10年

2011年3月11日に東日本大震災が発生してから、今日で10年である。

数字の上では節目に感じられる。

その影響だろうか。被災地にのことなどには然程関心を払わなくなって久しいテレビ局や新聞社等が、例年以上にこぞって被災地を取り上げている。

稼ぎ時とばかりに記事を出している様子を見るにつけ、報道とは何であるかを感じさせられる。

いっそ我々は被災地にも復興にも興味はないが金の為ならば興味のある振りをするとでも言ってはどうだろうか。

そんな彼等が出す話題を見渡すと、10年越しの悲哀や各所の軌跡のようなものが多く目に留まる。

中には、防潮堤が無駄などといった人命を軽視するような内容を、平然と出している愚かな記事もあるが、話題になり、金になるのであれば、どうでも良いのだろう。

何年経とうと、どれだけの惨状に見舞われようと、馬鹿は何も学ばないし、馬鹿なままである悲しい現実に溜め息が出る。

さておき、東日本大震災から10年である。

当時、大地震・大津波を目の当たりにした時から、早いもので10回目の3月11日である。

私自身は、幸い何も失っていない。

数少ない恵まれた側の人だと思う。

実際、その後に仕事で数千人の被災者を直接目にし、話を見聞きした経験を踏まえても、自分は奇跡的と言って良いほどに恵まれていると思う。

今回こうしてキーボードを叩いたのは、そんな恵まれた立場の目で見た被災地の変化、とりわけ雇用環境の変化について記しておきたいと思ったためだ。

先に少し触れた通り、最近のマスメディアを見れば、個々人の悲哀や復興施策への不満、これまでの華々しい努力の軌跡などばかりが書かれている。

だが、そういったセンシティブに飾り立てられた話ばかりでないのが現実である。

語られない事の方が多い。そういうものだと思う。

都合の悪い話を語る価値など、現実にはあまりない。一銭にもならない話には一線を引く方が、世の中的に利口なのである。

今回書くのは、そんな都合の悪い話に外ならない。


「果たして、東日本大震災以前は本当に幸福な世界だったのだろうか」

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