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もう旧い!ニュートンとダーウィン

 ニュートンの万有引力の法則。
 ダーウィンの進化論。
 :ちょっと言葉は悪いですが、それらが今は世界の非常識になっていることは知っとるけ?
 ♪知っとるけ?のけ! 知っとるけ?のけ! 今年で平均知っとるけ?のけ。

 因みに2022年末現在の日本の平均年齢は48歳です。

 でも日本は猶もニュートンとダーウィンが常識とされています。
 ♪何でやねん? 何でやねん? 777な何でやねん?

 平成や令和の理科の教科書には何と書いてあるのかは知りませんが(昭和しぐさ。)、昭和の理科の教科書にはニュートンやダーウィンが人類の辿り着いた不変の真実だとはっきり書いてありましたし今も大体変わらないのではないかと推察します。
 「はっきり言っておく。私は死ぬ。彼らの言葉の一点一画もこの地球から消え去ることはない。」。

 別に消そうとか思いはしないのですが今の世界の常識は万有引力の法則や進化論をあくまでも参考となり得る一面的真実、どちらかというと役に立たない説としています。全くの嘘ではないということですね。

 一面的真実の誇張はプロパガンダ(宣伝)の有力な手口の一つということは取り敢えず置いておき、何故日本は未だにニュートンとダーウィンの物理観や生物観、即ち世界観とし続けて已まないのか?

 そこで重要なのはニュートンの万有引力の法則を覆したデカルト、スピノザとアインシュタインの臨在(presences)です。
 彼等が存在することは日本にも広く有名ですが臨在はといえばあまり見えない地点にいますね。偶にアインシュタインがテレビに出ることはありますがデカルトやスピノザがテレビに出ることは極めて稀です。
 それも、ニュートンの万有引力の法則については我事のように誇らしく伝えますがアインシュタインの一般相対性理論については「凄いですね、私にはさっぱり分かりませんけどね。」というような感じなのが池上彰さえ同じ。

 スピノザは前記事にも語る通り、江戸時代以来の日本の主流の思想で、ニュートン力学の伝来は江戸時代後期の1780年頃にオランダ学(スピノザを含む。)者の志筑忠雄が紹介。多分江戸時代や明治時代には万有引力の法則は一般には認識されてはいなかったでしょう。
 既にスピノザの物理観を知る志筑がニュートン力学をどう理解したかは分かりませんが問題は真空の存在についてです。
 デカルトとスピノザ、そして後のアインシュタインも真空の存在については否定します。
 ニュートンはその力学において真空の存在を想定するため、今の世界は力学の計算に使えて全くの誤りではないが構造理論としては雑な概念というのが常識になっている。
 日本人は宇宙空間は真空だと学校で習い、それが当然と思っています。
 私も昭和の小学校でそう習い、取り敢えずそう信じていました。
 デカルトは学びませんでしたが大学のフランス文学科を出て社会人になった平成中期に、ふと、真空は存在しないのではないか、宇宙も全て何らかの物質で密しりと埋まっているのではないかと思うようになりました。そして万物を電子とその磁力で捉える電磁史観を持つ。宇宙は電気の塊である。そこに電子戦隊デンジマンがいる。
 史観というのは当時から逸り出した東京裁判史観とか反日史観に肖るもの。
 それから四半世紀も経ち、竟に私のその史観の大筋を暗に肯定するスピノザという哲学者の理論に出会う。暗に肯定するというのは同じではないけれどということです。
 そしてデカルトもまたその点は合意(in consensus)。
 引力の存在は良いとしても、宇宙は真空だというのはほぼ嘘だった。
 しかもそれが現代世界のconsensusでもあるとはコペルニクス的転回。

 重ね重ね云いますが、ニュートンの万有引力の法則やダーウィンの進化論の全てを否定するのではありません。
 それらは現象として一部には存在するが全ての現象等の内の少数の現象であり多数ではないということです。
 デカルトとスピノザだけでも絶対安定多数は確保でき、アインシュタインが加われば圧倒多数になるでしょう。
 しかしアインシュタインは極めて難解なのでともすれば不安定の要因になり得ます。

 ♪何でやねん? 何でやねん? 777な何でやねん? 

 江戸時代の後期に伝来のニュートン力学は明治時代からの新しい教育における標準になりました。
 力学の理論と計算は軍事には必須ですし、そこでニュートン力学が栄えることは必然でしょう。
 昭和初期にアインシュタインが一般相対性理論を発表し、ニュートン力学に含まれる真空の理論は棄却されました。もう真空の概念が世界の非常識になって百年になるのです。
 ならば、そこで修正ニュートン力学というようなものが提唱されても良い筈ですがケインズが修正資本主義を提唱して普及したのに修正ニュートン力学というものは生まれませんでした。西洋においては真空の理論の部分が削除及び博物館入りになりほぼそのまま継承され、日本においてはその削除もありません。
 そこに作用したのは大正民主主義を通し日本に伝来したプラグマティズムとナチズムに連なる反ユダヤ主義です。
 アインシュタインはユダヤ人なのでそこでアウトです。
 彼がドイツにおけるホロコーストを逃れアメリカに渡り原子爆弾の製造を提言したことについては池上彰ももごもご。テレビ的にはまずい事柄で、とはいえ全く伏せる訳にもゆかないのでアインシュタインはごく稀にしかテレビに出れない訳です。
 スピノザもユダヤ人で、日本の主流派でもあるスピノザはプラグマティストにとっては利用が可能だが不都合な存在。そこでスピノザ哲学の端々を日本風に書き換えてスピノザの名は学問と教育の世界からは消してしまいます。
 デカルトは純血のフランス人でありユダヤ人ではないのでセーフでしたがやはり不都合なのでカントやショーペンハウアーとの詰め合わせにして『デカンショ節』という歌で茶化すことにしました。その勢いで酒を浴びれば覚えた哲学は忘れてチャラ。
 日本が被った原爆を作り出したアインシュタインが富国強兵に役立ったニュートン力学を一点一画たりとも書き換えることは彼等にとり許せないことです。なので戦後になっても戦後をはるかに過ぎて平成や令和になっても日本の教育は万有引力の法則・真空論と進化論を交響曲第九番と共に不朽不変の公理とし続けている訳です。

 尤も、戦前戦中の日本、大日本帝国はいわれるほど不自由で反民主的な国ではなく凡そ十分に自由で民主的な国でしたがそのような一部の動きが全体を戦後及び現在までも一枚噛みまた一枚噛み…と支配し続けていることは確かです。

 普通にニュートン力学に基づく研究や生産を行なっている方々も真逆気圧や湿度などによる誤差を勘案しない訳ではないでしょう。
 デカルトやスピノザの示す圧力作用の論もまた物理学の一分野として確立していますしそれがユダヤ臭いからと迫害されている訳ではありません。
 分かりませんが、日本が国産の旅客航空機を造れない、軍事航空機も今は造れないのは日本の物理学と哲学が猶も修正されないニュートン主義に依っているからではないか。百年前までに覆された科学を未だに先進的科学としている。
 尤もその点は日本だけではなく中国にもあるらしい問題で、先日に事件になった偵察気球なんかが何で今時に大真面目に作られているのかといえば、中国はSDIに立ち遅れているので偵察衛星の信頼性が低いからでしょう。
 偵察衛星も時代遅れになれば、金正恩将軍やトランプ大統領が注目の筆形の超小型核爆弾を応用しての超小型偵察弾が主流になるかも。そうなるとドローンもテレホンカード並みの存在になるでしょう。故に中国の偵察気球も強ち侮れません。
 国産旅客航空機の破綻はそのような理科学的問題だけではなく寧ろもっと大きいのは型式証明が取れないのに何で受注ができるのかという商倫理、延いては社会倫理の根本的欠如です。それをし続けていてやっと社長や誰かが気づいたのでしょうか?そうならば気づくだけ良かったということになります。多分技術の問題だけならまだ何とかなるだろうということで続行か精々棚上げ(凍結)になっていたでしょう。
 というか、飛行機というものが出来る時点で万有引力の法則は万能ではないとわかる筈ですけどね。
 何だろう?飛行機の作り方はテロに利用が可能だからということでそれに気づかせないためなのでしょうか?

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