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日本は世界一のスピノザ大国(でした。):日本の三大思想:スピノザ・プラグマティズム・道教 その2

 先の『日本の三大思想:スピノザ・プラグマティズム・道教』には日本人の思想を大きく分けると:❶古代以来のシナ朝鮮由来の道教(及びその派生的宗教としての神道、密教とキリスト教)、❷江戸時代以来のオランダ由来のスピノザ哲学と❸大正時代以来のアメリカ由来のプラグマティズムの三つがあることを語りました。
 現代におけるそれらの比率は数では4:4:2で影響力では2:4:4と、道教思想の減退とプラグマティズムの増進が著しい。
 道教思想は数が多いのに力がなく、プラグマティズムは数が少ないのに力がある。
 そんな中、スピノザ哲学は四百年に亘り左程の大きな減退もなく安定して日本の主流の思想秩序であり続けており、それを理解することが日本を最も効率能く理解できると考えられます。
 良くも悪くもスピノザ哲学は我が国の平和安定繁栄を形成し、日本の強みにも弱みにもなっています。
 スピノザ哲学がかくも日本に普及したのは幕藩体制を通し政策や教育にその哲学を反映させたからで、スピノザ入門などという教科書やベストセラー本があったのではありません。令和時代の今になってやっと冒頭の写真のようなスピノザ哲学の入門書が出来ていますがそこに記される事柄は今日の日本人が昔から広く知っていることばかりです。
 しかし、日本の代表者である天皇とその皇室は江戸時代から減退してもほぼ一貫し古来の道教思想を保守しています。
 上皇后陛下以来に皇室にはキリスト教主義の大学の出の方々が増えているのはキリスト教は道教とその内容は違えど近い構造(父・子・聖霊と天・地・人)があり、皇室にとりそのような思想の基本構造、精神の骨格の保守がとても大切だからです。
 ’70年代の革新勢力の台頭などから天皇を代表とする道教思想は急速に廃れてプラグマティズムの影響力が格段に増しましたが、’90年代を過ぎるとそのプラグマティズムが天皇制の支持に転じ、’10年代には元革新左派の右傾(いわゆるネトウヨやネオリベ。)により天皇制が支持率の上では過去最高の状況にあり、天皇制を今も支持しない人々はそれら三代思想の何れにも当たらない極少数となっています。
 天皇制を支持するプラグマティストからすると古来の道教思想はシナ朝鮮の由来で構造的には西洋の伝来のキリスト教をも含むので、日本の独自性の主張には不都合な要素であり、その支持の理由は単に日本の長い歴史の既成事実ということです。既成事実の最重視と不都合な事実や要素の捨象はプラグマティズムの主な特色です。プラグマティズムは歴史修正主義とは実に相性が良い。

 日本を代表する思想家はオランダ人。

 しかしこれは私も初耳学ですが、スピノザはスペインの出身のユダヤ人で、オランダには大人になってから帰化したと國分功一郎教授の著『スピノザ』、岩波新書2022に記されます。
 若い時分にユダヤ教を破門になり、新キリスト教と近代合理主義の台頭する中欧で時代に適う哲学を考えた。
 キリスト教にも一定の警戒を受け、彼の著書は禁書に指定されたりしていますが異端とされることはありませんでした。
 そのように厳しい球を放りながら一応の安全圏内に収まる、人畜無害ともいえる思想的行動的感覚は江戸時代以来の日本人の好むところでもあり、日本人に受け入れられ易い特色です。
 キリスト教がスピノザを異端とはしなかったのはその汎神論が古来の中北欧には一般的思想であり、スピノザは元々存在するものに近代的理論を附与したに過ぎないからでしょう。それはスピノザが批判的に継承するデカルトの「我思う、故に我あり。」の定理にもいえます。元々なかったものが当時に初めて生まれたのではありません。
 しかし日本にとっては汎神論は当時にほぼ初めて出会う思想で、戦国時代までは汎神論やその派生のアニミズムはほぼありませんでした。
 汎神論が江戸時代の日本人に広く受け入れられたのは戦国時代を経ての日本の国家社会秩序の崩壊と再構築、いわゆるグレートリセットが影響しています。旧来の神道や仏教が戦乱の中動揺して国民の信頼を失う中、またはキリスト教が迫害を受けて減退してゆく中、新しい時代には汎神論が有望だということになった。
 よく誤解されますが、汎神論は一神教が基であり多神教ではありません。日本は天照大神の古来から多神教の国になったことは一度もありません。日本を多神教の国と思っているのはローマおたくか特殊な地域の極少数派だけでしょう。

 江戸幕府の政策に基づき、密教(天台宗・真言宗)を除く大乗仏教の多くが多かれ少なかれ汎神論を取り入れて現代に至ります。
 凡ゆるものに仏性が宿るという今は当たり前のように仏教の特色とされる信仰は江戸時代に導入された近代思想的新しい信仰です。
 尤も、中北欧にはもっともっと昔からある思想なので、それなりに真理に近い、当たり前と思えるほどに強い思想なことは間違い無いでしょう。
 中北欧は牧畜社会で、家畜が柵を出て逃げないようにしておけば後は平和安定という慣習。そのような風土には人畜無害な汎神論が好ましい。
 江戸幕府は日本の国家社会を牧畜社会風に変えた訳です。そのために藩制という囲い込みの装置を作る。
 飼われる家畜だけではなく飼う人間も囲い込まれて平和に暮らすことは牧畜社会の基本なので、江戸幕府が人間を家畜扱いにした訳ではありません。
 故に、部落差別というのは江戸幕藩体制が作り出した身分制ではなく反幕府の一部の民衆が作り出した反抗的現象です。そもそも士農工商さえ身分制ではなかったことは近年の歴史学の常識になりつつあります。

 そんな良いこと尽くめのようなスピノザ哲学とそれが主流の日本社会ですが、そのスピノザ哲学にも日本の問題の原因になるような弱みがあります。日本はスピノザ哲学の弱みを独自の日本精神や大和魂でカバーしていたりはせず、それをほぼそのまま露呈してしまったりしています。
 因みに日本精神や大和魂というのはほぼプラグマティズムの日本風の演出で、それそのものは戦前のアメリカ思想のOEMに過ぎません。

 スピノザ哲学の弱みと強みについて次の記事に見て行きます。
 私はスピノザ主義ではなく道教主義ですが基本的にはスピノザ主義をなくすべきとか思わないので御安心を。 

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