偉大なる教授が残したものを頼りに、私は手探りで生きる
晩年坂本さんは自身の病とパンデミックとで人生観が大きく変わったと画面上で仰っていました。
「死」が迫りくるなかで、
最後NHKの509で8日間かけてライブの収録をしたそうです。
坂本さんのひとつひとつの音は、
重く静かな、だけど情動的な確かな響きと鼓動や息遣いを確かに感じました。
そんななかで、闘病中の自分自身の心の平安を求めて描いたスケッチ、日記のようなスケッチから最後のアルバムができたそうです。
以前こんなことも仰っていました。
そして晩年、
坂本さんは"ただただ音を浴びたかった"と仰っていました。
病院の窓から見える景色や、病室にいながらも聴こえてくる雨の音や生活の音。
坂本龍一さんは何を感じ、世界をどう捉え、これまで生きる上でどんなことを考え、音楽家あるいは芸術家として何を表現をしてきたのでしょうか。
僕のまわりには一体どれくらい生命の息遣いがあるのでしょうか。
彼ら彼女ら、あなたに価値があるないなんて一体誰が決められるのでしょうか。
カメラのように
わたしたちの眼というレンズでファインダーを通して世界をみつめ、レンズを開いたり絞ったりしながら、この世界からさまざまな解像度で情報を取捨選択して生きています。
私のファインダーから見える世界の一部は、一見すると不必要と思って排除していたものがあるかもしれません。
しかし今一度それらに眼を向けてもいいのかもしれません。
そして
勇気を出して、シャッターを押すのです。上からでも、下からでも、眼を向けてみるのです。
そして眼だけではなく、
耳で世界の音に耳を傾けてみるのです。
鼻で世界の匂いを感じ取るのです。
口で世界を味を味わい尽くすのです。
身体でこの世界へえいやっと触れて感じてみるのです。
そして、
心で眼ではみえないものの先に手を伸ばしてみるのです。
大いなる流れと巡りの一部のわたしと世界を繋ぎ合わせ、生を表現したいのです。
ただわたしは、わたしという生と死を彷徨う弱っちい人間として、この世界を渡り歩きたいと思うのです。
坂本龍一さんの残したことを頼りに、
わたしは自分の感受性を高め生きたいと願うのです。
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