僕の「発散」の場所は車の中。僕は車でTHE Beatlesを唄う 田中慧日記 #15
人間は「抑圧」と「発散」の2つの作用がある
僕は車の中で、Youtubeを見るのを辞めた
今日はとても温かな1日だった。最高気温が23度だったわけだ。辺りを見渡すと桜がもうすぐ咲きそうだ。雨の予報だったから、昨日は少し残念だったのだけど天気は晴天だった。まるで、人のようだ。いや、人が雲のよう、なのかもしれない。人は、天気のようなものかもしれないなあ、なんて思いながら私は仕事先へ向かう。
僕は車の中では最近音楽を聴くことにしている。
以前はYoutubeでなんか為になりそうな、例えば中田のあっちゃんとか、動画を見ていたのだが、ほとんど流し聞きだ。「なんとなく」は聞いているのだけど、なんとなく、なのだ。なんかその時間が不毛に思えてならなかった。勿論、新しいことを考えるきっかけになり得るだろうし、車の中でのある種「退屈だなあ」と思い込んでいる時間を有意義に過ごすことができるかもしれない。しかし、僕はその動画の内容を「なんとなく」しか覚えていないことに少し嫌気がさしただけなのだ。しかも危ない。車の中で運転で注意を払いながら、動画を見るなんて、人の話を同時に二人聞くのと同じじゃないか。人をもし轢いたら、なんて思ったらやめようと思った。
僕は車の中でTHE Beatlesを30分熱唱する変人だ
そんな車の中の「退屈な」時間をどう過ごそうか、と思った時、僕は音楽を聴くことにした。いや、聴いているだけじゃない。熱唱する。いや、恥ずかしいが再喝する。「熱唱」してます。意外に多いんじゃないのか?車の中で熱唱する人。みんなね、多分だけど人目を気にせずに発散したい時とかあるじゃない。僕はあるよ。それでさ、「車」というある種プライベートで一人の贅沢な時間を熱唱に費やす人はいるんじゃないだろうか。今日なんて、THE BeatlesのHey jude が歌えるようになりたくて、仕事先までの約30分間熱唱する変人だ。僕は一体何をしているかというと、車の中で楽しく「発散」しているんだ。
人間は抑圧と発散の2つの作用がある
ある本で、「人間は抑圧と発散の2つの作用がある」なんて書いてあったのを今思い出した。現代社会は「抑圧」の動きが多いんじゃないのか。
「抑圧」とはどんな類かと言えば、道徳やルール・規範のようなものだ。「人様に迷惑をかけるな」というような社会では、発散しずらくなるわけである。それで行き場のない自分の内にあるものを爆発的に「発散」させたのが、あの某回転寿司でのニュースなのではないのだろうか、と思う。
つまり、社会の流れが「抑圧」に偏りすぎているから、「発散」することに飢えた人がいるのではないのか、という疑問だ。そう思うと。LIVE配信やTwitterに代表されるSNSはきっとそのような「発散」に飢えた人にはもってこいのメディアだと思う。
パブリックとプライベートの中での発散の違いとは
ただ、SNSやLIVE配信などの空間と「車の中」の空間の違いは、パブリックかプライベートかの違いなのではないかと今思った。今まさに思ったのだ。僕は書く前に書くことを決めないから、書きながら自分の頭の中を整理している訳である。そんなことはどうでもよくて、どういうことか。
SNSやLIVE配信などでは、自分の発信の先に「誰か」の存在があると思うのだ。それが例え発信先の「誰か」を意識してなくても、意識していたとしても不特定多数の「誰か」がいる。しかし、その人の実存・実体は存在しない。だから、発信先の受け手のことが見えずらい。Twitterで言えば、見えるのはタイムラインに流れる色付けされた膨大な情報とその人たちのプロフィールや写真などだ。ただ実体はない。
それじゃあ実体がないとどんなことが起こり得るのか。
SNSなどのメディアはパブリックな空間なはずなのに、あたかも「プライベートな空間」と錯覚する人も出てくるということだ。「プライベートのこと聞かないでよ」という言葉を聞いたことがある。この言葉は「公には出したくないことだから聞かないでよ」とほぼ同義なのではないか。つまり、プライベートなことは公では言いたくないような、あるいは言ってはいけないようなことが孕んでいるということである。
そんな自分の「抑圧」されていることをみんなどこに発散すればいいのか悩む。それでお手軽で、気軽な、"プライベート"っぽいメディアで発散しちゃおうという訳である。でも実名だと嫌だなあなんてことがある訳だ。だけど、Twitterなんかは匿名性OKだ。やった〜、発散しようと思う訳だ。それで自分の内側にあることを沢山発散する訳である。時には過激なことも書いちゃうかもしれない。すると、あれめっちゃ「いいね」きてるじゃん。嬉しいなんかおもちゃって、どんどん書いちゃう訳である。気持ちいいなんつって。
僕らは無意識に人を喜ばせも、傷つけるやもしれない可能性を秘めている
ここで問題が発生する。「誰か」という他者の存在だ。でもその実体は見えない。というか触れることもできない。表情も見えない。ある種の神様的な
オカルト的な存在化していることもあるかも、という訳である。
ただ発信をするということは、「誰か」が受け取る可能性を秘めているとということだ。それを考えずして発信して、ある人は喜び、ある人は悲しむ。そんな実態が現状にあるのは言うまでもないだろう。本来インターネットが普及していない時期には、きっと人と人とがもっと実際に触れ合って時代には相手をよく観察してから話をしたりするはずだ。少なくともインターネットほど、気軽ではないだろう。
だって、
誰かを傷つけたりする可能性があるんだから。
自分が傷つくかもしれないんだから。
人との関わりって、そういうものなのだと思う。痛いんだよね。時には。そんな想像を直接のやりとりでもできないことだってあるよ。ほら、疲れている時とかさ、余裕がない時とかさ。でもさ、ほら、見てみて目の前の人。「めっちゃ悲しい顔している」って思って、ドキってなるわけじゃんか。それで反省したり、謝ったり、平気な顔したりするわけじゃんか。こういうものだと僕は思っています。
でも、インターネット使い方を間違えると、無差別に・無意識に人を傷つける危険性がある。だって、反応が実態として見えない「お手軽さ」が一つの売りのメディアだからだ。「発散だけして、スッキリー」でもいいわけだ。だって、痛くないんだもんその人は。自分の気持ちいことをやっている。発散させたいんだから、という理屈もあるかもしれない。「自分の発言に対して、解釈は人それぞれ」っていう考え方もあるよね。そうだと思う。
「発信者の表現は自由であり、それをどう解釈するかはあなた次第。」
うん。ただその考えの前に念頭に置かなくてはいけないのは、メディアの特性である「誰かが痛い思いするかもだからね。画面上の向こうでは、泣いているかもしれないし、笑っているかもしれない。そういう可能性があるからね」ということだ。
画面の向こう側には、僕たちの知らない「誰か」世界があるんだ。
僕が車の中で唄う理由
「発散」の衝動を僕は音楽の力で変えることにした。だからギターを始めたんだ。
話が長くなったが、みんな「抑圧」され気味だから「発散」したいのでは?ということだ。
そこで僕は、音楽の力を借りて「発散」することにした。
そこで僕は近頃ギターを始めるに至ったのだ。きっかけは、坂口恭平さんの「誰でもできるギター講座」というYoutubeを見て、あんなに楽しそうに歌ったり弾いたりしてるのいいなあと思ったからだ。しかも、「コードなんて覚えなくていいっすよ!はいこれ!坂口恭平コード」みたいな感じで言っていた( ような気がする)。その坂口恭平コードを用いてメロディーを弾き、そのメロディーに今自分が思っていることや感じていることを歌詞にしちゃえ〜的なことを言っていた。それめっちゃいいじゃん、やりたいってなった。これが僕のギターを弾くに至ったきっかけである。
Take a sad song and make it betterを鵜呑みにしてみることにした
「楽しい」って感じたことをギターで「楽しいなあ」って感じで発散する。
「苦しい」って感じたことをギターで「苦しいなあ」って感じで発散する。
そうすれば、もしかしたら他人の力を借りなくても自分で自分の感情と上手く付き合っていけるかもしれないなあなんておもった。でも苦しい・悲しい歌や怒りの歌とかでさ、なんか嫌な思いをする人いるかもしれないじゃんってあるじゃん。僕も今思ったわけ。確かにそう。だけどさ、ほらビートルズでもこう言ってるじゃん。
まずプライベートな空間でさ、音楽の力を借りて発散しちゃおう。「畜生〜」って。そんでさ、深呼吸するなり、コーラがぶ飲みするなりしてさ、冷静になるんだ。それで僕は何を望んでいたのかをよく視てみるわけ。それで本当の願いみたいなのにアクセスしてさ、それを歌にしようよ。
だって、 Take a sad song and make it better じゃんか。
うん。鵜呑みにしてみよう。そう思うようにしてみよう。実はまだ僕はギターで何の曲も弾けないし、作曲もできない。
けど、自分にとってのギターや音楽をやる意味ができた。
こうして、音楽のモチベを上げるわけである。
僕の発散の場所は、「気軽」で「お手軽」な車の中
そんでさ、唄うのとかちょっと恥ずかしいじゃん。人に聴かれていると思うと変なスイッチ入っちゃうじゃん。そう、きっと表現者も「発散」の場所に飢えている訳。そこで僕も少し飢えている訳よ。
だから僕のプライベートな空間でもっとも「お手軽」で「気軽」なのが「車の中」だったわけ。これSNSと同じようなのに、気軽だよ。だって「誰か」の実態も何も僕だけなんだもん。だけど、爆音で歌いまくると他の車とか歩行者がびっくりするかもしれない。だからほどほどに発散しましょう。ほら、農道とか通ったら、めっちゃ歌えばいいじゃん。歌おう!笑
それが僕が車の中で歌う理由。
僕はそんなことを思いながら、車の中で歌うのでした。
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