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創業時代

株式会社ヴァカボは、今年で、10年目に突入。
この機会にnoteを始めてみた

創業のストーリーを書き記してみる

大学卒業後、アミューズメント業界に入った。といってもアミューズメントといえば聞こえはいいが、パチンコ業界だ。しかもメーカーではなく、お店の方だ。1996年卒当時としては、いい就職ではなかったと思うし、周りからもビックリされたのを覚えている。(でも、敢えて言うが、全く後悔してないし、たくさんの仲間や先輩方に支えられて、楽しい業界とも思っている)

この業界のいいところは、人間を見ることができることである。いろんな人がいる

単純にギャンブル好きで、パチンコというゲームを楽しむ人、年金暮らしで、人恋しくて、自分の子どものような店員に会いにくる人、お金持ちだかどこか寂しそうな人、認知症を患ってるお爺さん、お忍びできてる芸能人、いつも笑ってる人、怒ってる人、ほんと様々だ。この人間模様が見れて楽しい時間だった

大学でてからは、ずっと現場で、アルバイトの人たちといっしょに働いた。
転機が訪れたのは、別店舗への転勤とともに、
販売促進の仕事に出会えたことだ。

店舗で、自由に販促の実践をさせてもらえたおかげで、いろんなチャレンジができたこと今に感謝している

そこから、もう少し、専門的なことをしたいと、ある印刷会社であり、クリエイティブ制作会社に転職。オンデマンド印刷機で、名刺やダイレクトメールを刷り、事業成功していた会社だ。当時、オンデマンド印刷よりもオフセット印刷が主流で、小ロット印刷向きのオンデマンド印刷事業は、儲からないと言われていた。

その分、競合も少なかったんじゃないかなと思う。今では、名刺印刷だとトップシェアなんじゃないかと思う

その後、この会社で、営業職を経験し、10年が経った頃、起業する訳である

ここでも、営業を経験してことは、凄く大きいことだと思う。
やはり、営業力って凄く重要で、最初は、人を雇うお金もなかったので、自分が売りに行くしかなかった。その時営業経験が活きたと思う。

よっぽどの人でない限り、特別な商品力のあるものを武器に起業などできない。武器は、ドラクエでいうヒノキの棒だ。でも、その時に営業するチカラがあれば、ある程度はいける。なので、営業経験はもっておいた方がいい。結構、しんどいイメージのある営業だけど、面白いところもあるので、営業が苦手な人、3年頑張ってほしい。

で、起業当時、やりたいことがあったかというと明確なものはなかった気がする。
ある意味社長になりたい!くらいかと

最初の主なアイデア
①農業の広告代理店
②パチンコ店向けアプリ
③インターネットのお墓
④軒先を活用したマルシェ

この中で、やったのは、③以外全部。
当時なけなしのお金をはたいて、パチンコアプリをやるが、失敗。ほぼお金ゼロ

前職の経験を活かして、当時流行り出していた
農業の六次化。生産者が、作って、加工して、販売するという、1次産業、2次産業、3次産業を掛け算した言葉。なので、生産者が販売までや?のだから、ブランド作りや広告が必要になると思って、農家に営業。これも、まだ、農業法人も珍しく、個人農家しか営業先がなく、中々受注までは難しかった。

この農業への営業、パチンコ店への営業をやってるうちに、あることをパチンコ店の方から言われた。それが、野菜イベントをやってくれないかと

お金払うから、野菜、スタッフ手配、当日のイベント運営をやってくれないかというもの。

野菜は、農家とのコネクションは、すでにあったので、ある千葉の生産者さんにお願いして、野菜を提供してもらった。

これをやってみたら、結構人気で、パチンコ店にくる年金暮らしをするシニア層に人気となった。

こんなことから、他のパチンコ店にも話を持っていくとどんどん増え始めた。毎月倍々になっていく感じだった。

この時の販売スタイルが、

お店の軒先を使ったマルシェスタイルだった。
街中のパチンコ店の軒先で、有機野菜などこだわり野菜を格安で販売するモデルを作った
これは、広告モデルと同じで、Googleなどが広告収入で、いろんなサービスが格安だったり、無料で提供されるモデルをマルシェにも適用できないかと思った訳だ。

お店から広告宣伝費をいただいて、集客のためのイベント運営を請け負うもの。もちろん生産者からは、農家さんからの言い値で買い取った。
未だかつて、値切りをしたことがない。

その分をお店からのイベント代金と当日の野菜販売代金で賄っていた。

そして、3年で、ひとまず、黒字化した

そして、このマルシェ事業、今では出張マルシェと呼んでいるが、今でも当社の主力事業だ。

ただ、この事業をやってる時に、ある出来事を経験する

マルシェの数が増えてくるとイベント運営スタッフが必要になる。
でも、中々人が見つからない。

そんな時に、野菜ソムリエなる資格者と出会う
それが、いまでは、うちの役員だが、とにかく野菜のことは詳しい。
そして、その人のネットワークにも野菜ソムリエがいる。なので、イベントスタッフに野菜ソムリエをあてがった。

すると、野菜の食べ方や保存方法まで、その場で、八百屋さんのように伝えながら販売していく

凄く楽しく皆さんやっていただいたと思う
これが、最初の食の資格者への活躍場所提供ではないかと思う。

そして、食育機会の提供の始まりだと思う。

では、この食育の機会をパチンコ店以外でできないかと考えた時に思い浮かんだのが、企業の福利厚生だ。

早速、当時稼いだお金を突っ込んで、ビックサイトの福利厚生EXPOという展示会に参加。

当時、3人で出展する会社なんていなかったんじゃないかと思う。

無名の会社が目立つ方法を考えたのだが、名刺を得るために、ノベルティを配る代わりに、野菜を配った。最初は、ミニトマト、その次とうもろこし、パプリカも配った。もちろん全て国産。

これがとにかくうまくいき、名刺は、うちにしては上出来の300枚くらい。

そこから、無名の会社が営業していく訳だが、あのとうもろこし配ってた会社ですとかあうとアポが結構とれる。

全く、無名の会社が結構有名な会社とアポがとらるようになった。そして、無名ながら、ある有名IT企業の健康経営施策の一環で、採用された。

今の当社二番目の柱の食育マルシェというサービスが生まれた。
これは、野菜の食べ方や保存の仕方などをクイズ形式で学べるもので、講師は、野菜ソムリエや管理栄養士などの食の資格者の人たち。
今では、野菜が食べたくなる福利厚生サービスとして絶賛営業中である

さて、そこから、少しずつ契約が決まっていく。

そして、ある一つの事業テーマにいきつく

それが、食育ビジネスだ。

自分たちで、食育コンテンツを作って、自分たちで販売するというもの。

食育は、子ども向けのものと思われがちだが、自分たちは、大人サイドから食育普及を進めようと思っている。大人が食育を学べば、家庭で、子どもに落ちるはずだという仮説からだ。

生活の質をあげる食育コンテンツは、家族のコミュニケーションを活性化させ、ウェルビーイングな社会を創造できる。我々は、それを食の資格者、生産者とともに実現したい

話は、それたが、その食育マルシェのサービスのブラッシュアップをするために、様々な投資もしたが、これからというところで、コロナに突入。

全てがなくなる悪夢となった。

この続きは、次回にしようと思うが、これも経験できてよかったのではないかと今は思える。

何故なら、今まで散らかっていた事業をあらためて見つめ直し、やるべきことの軸を発見する時間を作れたからだ。

事業の再定義を行なったのだ。

そのことについては、次回にまわすことにしよう

長文読んでいただきありがとうございました♪

食育カンパニー ヴァカボでした。





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