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息子に紡ぐ物語

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1男1女の子供を持つ平凡なサラリーマンと、父で作家の「長谷部さかな」は、不思議なキッカケから毎日メールをやりとりすることに。岡山県の山奥にある見渡す限りの土地や山々はどのように手…
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#尼子の落人

【352日目】:吉野村か高瀬村か

【352日目】:吉野村か高瀬村か

ご隠居からのメール:【吉野村か高瀬村か】

私の故郷は高瀬村だが、古代には吉野村と呼ばれ、中世には奥村と呼ばれる時期があったらしい。由緒ある地名を改称するにはそれなりの理由があるはずだ。なぜ吉野村は高瀬村と改称されたのだろうか。あの村には広い野はあるが、村を流れる小川の川幅は狭く、高い瀬はない。高瀬村と称する必然性があるとは思えない。

いや、一つだけ理由らしきものが考えられる。それは我が家に伝わ

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■【より道‐115】「尼子の落人」と家訓が残るほどの物語_尼子清定という男

■【より道‐115】「尼子の落人」と家訓が残るほどの物語_尼子清定という男

わたしは、小さいころから父に、ご先祖さまは「尼子の落人」だということを言われ続けてきました。父の故郷、岡山県新見市高瀬の家屋跡にある旧墓地には、「尼子の落人」のお墓と伝わるものも存在しています。

ただ、そんなことを言われても、歴史のことはよくわからないですし、しかも、織田でも徳川でも武田や上杉でもない尼子と言われてもよくわかりません。正直、昔は、仏門の尼さんのことだと思ったりもしていましたし、素

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■【より道‐103】戦乱の世に至るまでの日本史_時代を超えた因果応報「京極騒乱:後編」

■【より道‐103】戦乱の世に至るまでの日本史_時代を超えた因果応報「京極騒乱:後編」

「家系図」をみてみると、長谷部家連さんの娘に「女:京極氏室」と「女:小嶋氏室」と記載されています。そして、我が家の家訓として残っている「尼子の落人」という言葉から、このあたりの時代に京極氏と親戚関係になったのではないかと、妄想しています。

それは、「京極騒乱」の時代に、出雲の守護だった京極政経(まさつね)、そして、京極氏の同族で守護代だった尼子経久と大きくかかわりがあったのではないでしょうか。

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【231日目】「尼子の落人」通史

【231日目】「尼子の落人」通史

ご隠居からのメール:「尼子の落人」通史

この「息子へ紡ぐ物語」は、「点」と「点」で経験したり、聞いてきたことが、父子のメール交換によって「点」が「線」になったという前提で進行している。

ところが、読み直してみると、内容がバラバラで、結び目が見えなくなっており、話の筋を追いにくい。しまいには頭が混乱してしまう。無数にいりくんだ線を整理して、面にする必要があるのではないか。

そこで、わが家のファ

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【204日目】自称尼子の落人系

【204日目】自称尼子の落人系

ご隠居からのメール:【自称尼子の落人系】

>>いやいやお父さん、我々は「尼子の落人系」でしょ。

ーーそうかな?、我々は実は「自称尼子の落人系」ではないのか。

>>しかし、面白いことに、長谷部信連が伯耆に残した長男「藤太郎実信」
>>の母、つまり信連の妻は、雅楽(うた)氏のようだ。実信氏のことは、
>>「家系図」にも記されている。

ーー信連の妻が雅樂氏とは知らなかった。雅樂氏という姓が存在す

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【186日目】六親等

【186日目】六親等

ご隠居からのメール:【 六親等】

「家訓」というタイトルのメッセージは、一昨日受信したメール(「米原氏高瀬移住の可能性」の文面と同じ内容ーーとのこと、うっかりしていた、ゴメン。

こちらのファイルをよく調べたら、次のような未送信と思われる内容のメッセージが見つかった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

親族とは? 民法上の親族の定義は、「六親等内の血族、配偶者

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【185日目】家訓

【185日目】家訓

ご隠居からのメール:【 家訓】

>>「尼子の落人」は家訓ではないが、家訓のようなものだと受けとめてい
>>る。ついでにいうと、家宝も残っていない。残っているのは「尼子の落
>>人」の言い伝えのみ。

では、今からでも遅くない。家訓をつくろう。

返信:【Re_家訓】

父さんとのメールを通じて多くのものを学んでいるから、この、メールのやり取り自体が家訓のようなものだと思ってるよ。

しかし、何世

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【181日目】「尼子の落人」後日譚の構想

【181日目】「尼子の落人」後日譚の構想

ご隠居からのメール:【「尼子の落人」後日譚の構想】

昨日、長女が実家にやってきて、『パンデミック体験記』を読んだが、結末のわけがわからないと言っていた。ダニエル・デフォーのあの警句は、おれが七十年近く悩まされたものなので、そう簡単には理解してもらえない。

今日からは『尼子の落人』後日譚の史料集めにとりかかるが、まず頭の整理をしておこう。念頭におくのは、 『尼子の落人』という言い伝えのある御先祖

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【170日目】大原氏と長谷部氏

【170日目】大原氏と長谷部氏

ご隠居からのメール:【大原氏と長谷部氏】

同年配の千葉真一さんもコロナで死に、知人の誰それからも消息がなくなった。やはり、パンデミック体験記のエンディングはまだパンチが弱いような気がする。

先が見通せない要因の一つは中国の動向だ。コロナをいち早く収束させた勝ち組の印象を与えたが、マスク外交やワクチン外交はあきらかに破綻している。

福井藩士に長谷部甚平。津江に長三州という幕末の英傑がいたことは

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【153日目】年代記

【153日目】年代記

ご隠居からのメール:【年代記】

こうして年代記を眺めてみると、長谷部氏の一族離散は宿命だね。高瀬川の上流の高瀬川をオレたちは大川と呼んでいたが、実際には小川のような細流が村を二分してくねくね蛇行しながら流れているだけなので、東側も西側もないよ。

そういえば、近江の守護には佐々木源氏の流れをくむ京極氏と六角氏があり、六角氏には高瀬城という城があった。米原氏が城主だが、わが御先祖様とは関係がないと

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■【より道‐50】家系図から読み解く京極氏との血縁

■【より道‐50】家系図から読み解く京極氏との血縁

代々、我が家には、「ご先祖さまは、尼子の落人だ」という云い伝えがありまして、この家訓のようなものは、令和の現代まで語り継がれてきました。

自分も、noteに『息子へ紡ぐ物語』と題してファミリーヒストリーを記しているわけですから、これからも子孫が続く限り伝わっていくはずです。

でも、やっぱり尼子氏なんです。渋谷で街頭インタビューをしたとしても、ほとんどの人が知らない一族のことを、我が家では無理せ

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【149日目】なぜ「尼子の落人」か

【149日目】なぜ「尼子の落人」か

ご隠居からのメール:【なぜ「尼子の落人」か】

>毛利元就は、尼子から寝返った山名氏に人質を出すように要求して
>いたらしい。また、寝返った国人たちを戦の最前線に配置したとも
>言われているーーこれらの問題は精査、検証が必要だと思う。

「尼子の落人」執筆に際しては上下町の長秀雄さんから情報を貰っている。オレ以外にも長谷部氏の先祖に関する問い合わせが何件かあり、その都度、家紋を持ち出して対応された

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【141日目】架空の先祖名

【141日目】架空の先祖名

ご隠居からのメール:【 架空の先祖名】

では、架空の先祖名、馬之助(1600年頃)と熊之助(1700年頃)を採用し、與左衞門さん(1800年頃生れ、1868年頃没と推定)と合わせて、わが長谷部家のファミリーヒストリー三大キーパーソンとして活躍してもらうことにしよう。

先祖名は架空の人物だが、その前後の歴史的事実、たとえば、太閤検地とか上月城の落城とか天明の大飢饉(1782年-1788年)、黒船

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【113日目】「尼子の落人」後日譚

【113日目】「尼子の落人」後日譚

ご隠居からのメール:【「尼子の落人」後日譚】

いろいろ話したが、このメールのやりとりのおかげで、三部作の第三弾「尼子の落人」の構想がほぼかたまってきた。80歳過ぎてからでも、やるべきことが見つかったのは生きがいにもつながってありがたい。

返信:【Re_「尼子の落人」後日譚】

出版たのしみだね!「ふゆ物語」は、情報がかなり少ないので僅かな事実と時代背景から、心温まるファミリーヒストリーを期待す

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