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【231日目】「尼子の落人」通史

ご隠居からのメール:「尼子の落人」通史

この「息子へ紡ぐ物語」は、「点」と「点」で経験したり、聞いてきたことが、父子のメール交換によって「点」が「線」になったという前提で進行している。

ところが、読み直してみると、内容がバラバラで、結び目が見えなくなっており、話の筋を追いにくい。しまいには頭が混乱してしまう。無数にいりくんだ線を整理して、面にする必要があるのではないか。

そこで、わが家のファミリーヒストリーを通史のかたちで時系列にそって、いったんは経時的にまとめる構想を思いついた。なるべく、平明にわかりやすく、読者によりそって、読者がなじみやすいように書くのだ。天皇家のように本流の直系家族による万世一系の歴史ではない。支流の支流のそのまた支流につながる数多くの支流の一つの私的ファミリーヒストリーである。

そんな構想を思いついたのは、『大同からの便り』を転記し、編集した結果の副産物である。これは本流の直系家族による公的歴史に引用されるようなものではないが、庶民が書き残した正真正銘の史実であることにはまちがいない。

私は、このような埋もれた史実にもめくばりをしながら、わがファミリーストーリーの通史の編集を志したいと思う。はたして、バラバラの線を面にすることはどこまで実現でじきるだろうか。


>>大本営の評価基準が「人格者」であったら日本は戦争に勝っていたかも
>>しれない。

ーー少なくとも夏目漱石の評価基準は「人格者」だった。学習院大学で講演した「私の個人主義」参照。大本営は個人主義を否定したから、個人の「人格者」も否定した。理屈を言えばそういうことになる。

わがファミリーでもっとも「人格者」らしく思われるのは、漱石の講義を受講したはずの岡村素さんだが、晩年は気の毒なほど不遇だった。しかし、亡くなる前、息子の嫁、博子さんに、聖書一冊を与えたという。精神的には不遇ではなかったかもしれない。

ただし、評価基準を「人格者」にしても、日本が戦争に勝つとはかぎらないと思う。そもそも、「人格者」は戦争なんかしない。非戦主義は敗北主義
それは、非国民とみなされかねない。

「大同からの便り」を見直し、再校正した。校正はいくらやってもきりがないが、なるべくよいものにしたい。「大同からの便り」の修正版を添付する。前回送付分はこれと差し替えてほしい。


返信:【Re_「尼子の落人」通史】

ファミリーヒストリーの通史。いいね。古代からわかりやすくまとまると、子孫たちが「なぜ自分が生まれたか」という答えを示せるものになる。できたら、その時々のエピソードから、心の豊かさにつながる学びも紹介してもらえるといいね。「自分は何のために生まれてきたのか」という答えを導くものなら最高だ。

夏目漱石のことは、先日読んだ「坊っちゃん」と「坂の上の雲」に登場することくらいしか知らないな。少し、調べてみることにするよ。「私の個人主義」も勉強してみる。

人格者を求めると、最終的には宗教に行きつくね。仏教も金光教も、キリスト教もイスラム教も。どの宗教も極みすぎて尖ってる部分がありそうだから、いいとこ取りというか、意識と行動できるもの、共感できる事柄には共感した上で、自分の考え方を大切にしようと思う。

今日まで触れてきた大切な言葉は、

・我に七難八苦を与えたまえ(山中鹿之助)
・八徳(孫文)
・戒語を慎む(良寛)
・義を明らかにして利を図らず(山田方谷)
・仏様がいちばんよい死にどきを選んでくださる(佐藤徹)

今のところ、言葉化されているのは、こんなところか。もっとあるはずだから、徐々に整理しようと思う。

<<<次回の話【より道‐77】戦乱の世に至るまでの日本史_「佐々木一門」の整理①

前回のメール【230日目】書簡集「大同からの便り」を転記、編集して思ったこと>>>


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