見出し画像

円満離婚

 東京・八王子にある喫茶店。都心から離れた場所にあるこの喫茶店は最寄りの駅からも離れており、徒歩30分以上かけてようやくたどり着ける店である。
 東京とは思えない山々を一望できるツーリングコースの道中にあることから、ライダーズカフェとしても有名な店である。店内は木を基調とした雰囲気で、席数は少ないながらも広々とした空間である。
 季節は秋、午後4時。舞台中央にはテーブルと、テーブルを挟んでイスが2つある。上手側のイスに奈緒子が座っている。テーブルの上には水の入ったコップが2つと、おしぼりが2つある。下手側は店の入り口に通じている。店内にはヒーリングミュージックが流れているが、外からはそれをかき消さんばかりの大雨が降り続いている。

 溶明。車が停まり、エンジンが切られる音。ほどなくして、下手から傘を持った進介がぼやきながら店に入ってくる。

進介  いやまいったまいった、まいったよ~こんな雨じゃあ。

 進介、コートを脱ぎ、一度イスの背もたれにかけ、持っていたハンカチで身体を拭く。

奈緒子 掛けようか?
進介  え?…… ああ、いいよ。このままで。

 進介、ため息交じりになりながら身体を拭いている。

奈緒子 仕事は?
進介  え?…… 午後休取ってきたよ。どうしてもって言うから。
奈緒子 ごめんね。
進介  …… ああ、いいよ。今は大した案件無いし。まあでも、職場が近くじゃなかったらちょっとキツかったかなあ。
奈緒子 場所、わかった?
進介  ここ、あれだろ?こっちに引っ越してきた時にさ、この辺何があるのかなー、なんて言っ
て、じゃあせっかくだからこっちまでドライブしながら見てみようか、なんて流れでさ。
奈緒子 やっぱり覚えてるもんなんだ。
進介  まあ、そりゃ…… 。

進介、水を一口飲む。店内を眺め、メニューを探す。

奈緒子 コーヒー、頼んどいた。2つ。
進介  ああ、ありがとう…… 。

 少しの間。進介、再び水を一口飲んで、
進介  話ってなんだ?
奈緒子 え?
進介  いや、急に呼び出すもんだから、何事かと思って。
奈緒子 ( 思い出したように) ああ!
進介  ああ!じゃないよ。あんまり大した話じゃないの?
奈緒子 いや、そういうわけじゃないんだけど……。
進介  じゃあどうしたのよ。

 奈緒子、少しの沈黙。
進介  ああ、あれか、入院してる親父さんの容体とか。
奈緒子 いや…… 。
進介  変な宗教にハマってるとか。
奈緒子 まさか。
進介  あれか。Youtuber になりたいとか!
奈緒子 やめてよ。
進介  じゃあ言ってくれなきゃ。

 間。進介はおしぼりで顔を拭き始める。

奈緒子 …… 別れましょう。
進介  え!?
奈緒子 離婚しましょう。

 間。

進介  …… お前、何言ってるのか分かってるのか。
奈緒子 ええ。
進介  なんで。
奈緒子 胸に手を当てて考えたら?

 進介、奈緒子の胸に手を伸ばす。

奈緒子 私のじゃないわよ!
進介  ああ、ごめん!…… 本気なの?
奈緒子 うん。
進介  なんでまた。
奈緒子 だから、自分で考えてよ。
進介  だから、いきなり言われてもわからんだろう!

 進介、コップの水を飲み干す。落ち着いてから、

進介  俺に愛想がついたのか。
奈緒子 いいえ。
進介  …… 何か不満でもあるのか。
奈緒子 んー…… 別に不満とかは無いかな。
進介  じゃあなんで、
奈緒子 ただ…… なんて言うのかな。ずっとこのままでいいのかなって。当たり前だけど、もう若
くないし。このまま進介さんにご飯作って、掃除して、洗濯して、アイロンかけて、余った
時間でAmazon Prime 見て、お風呂入れて、食器洗って、寝て…… 。そんな繰り返しで
いいのかなって思ったら、すごく怖くなっちゃった。
進介  怖い?
奈緒子 私の人生、このままでいいのかなって。
(進介が何か言いかけるが、それを遮って、)分かってる!もうそんなこと考えら
れる歳じゃないって。すごく分かってるんだけど、残りの時間考えたら、もっとやりたい
ことあるような気がして。
進介  いや、気持ちはわかるよ…… 。そりゃ俺だってこのままでいいのかって思うことくらいあ
るさ。仕事だって変わらんし、できるんなら熱海とか軽井沢に家買ってのんびりしたい
さ。でも、でもだよ?現実は家のローンだってあるし、会社辞めるわけにもいかんし、
別に俺はお前で満足してるよ。
奈緒子 満足って…… 。
進介  ああいや、そういう意味じゃなくて…… 。要は、俺は奈緒子には感謝してるし、今の暮
らしにだって不満はないんだ。だから、いきなりそんなこと言われても、俺は納得がで
きないというか…… 。あ、じゃあ、さっきの胸に手を当てて考えてみろってのはなんだったんだよ。
奈緒子 ごめん。ちょっとカマかけてみただけ。
進介  (ため息)…… 誰かに言ったのか。
奈緒子 両親には。
進介  何て言ってた。
奈緒子 別に辛かったらいつでも帰ってきていいよって。お父さんも長くないからさ。
進介  そうか…… 。

 進介、空のグラスを眺める。

進介  コーヒー、まだ来ないのか。
奈緒子 ああ、もうちょっとかかると思うよ。
進介  なんで。
奈緒子 店長がさ、豆切らしちゃったみたいで。今ふもとの豆屋さんに買いに行ってるの。
進介  はあ?だって他に店員さんとか…… 。
奈緒子 今日は店長一人。私が大事な話がしたいって言ったら、じゃついでに店番よろしくって。
進介  適当にも程があるだろ…… 。

 進介、立ち上がり、背もたれにかけていたコートを着ようとする。

奈緒子 どこ行くの。
進介  帰る。
奈緒子 待ってよ。まだ返事もらってない。
進介  一回考え直そう。話は家でもできるだろ。
奈緒子 駄目。今返事して。
進介  お前、まさかもう他に男が…… 。
奈緒子 そうじゃなくて。私たち、大事なこと決めるとき、いっつも結論先延ばしにして、なあな
あにしてきたでしょ。子どもを産む産まないのときだってそうじゃない。2年くらい悩み続けて、結局負担になるし、身体が弱いからって産まないことにしたけど、その判断が正しいかなんて今も分からないの。もっと早く決めていれば、準備だってできたんじゃないかって…。
進介  …… 。

 進介、静かにイスに座り直す。

進介  俺は、別れたくないよ。
奈緒子 どうして?
進介  だってこの年で離婚なんてなったら、会社になんて思われるか…… 。
奈緒子 熟年離婚なんて最近はよくある話よ。
進介  この年で一人暮らしっていうのはなあ…… 。寂しいというか。
奈緒子 のんびり暮らしたいって言ってたじゃない。それに私の気持ちはどうなるの?
進介  別に考えてないわけじゃ…… 。
奈緒子 本当は家事とか料理を、一人でこなしていける自信がないからじゃないの?

 進介、口を開いたが黙り込む。

奈緒子 じゃあ、こうしましょうよ。次にこの窓の前を通りかかる人が、男性だったら離婚しない。女性だったら離婚する。
進介  そんなドラマみたいな決め方…… 。
奈緒子 でも、このままじゃお互い譲らないから、第三者に決めてもらいましょうよ。完全に運次第なんだから、そこは公平に決められるわよ。

 進介、しぶしぶ納得したかのように窓の外を見る。奈緒子も窓の外を見る。
 間。しばらくボーっと見る二人。雨音だけが強くなっていく。

進介  …… あの、聞きたいんだけど。
奈緒子 なあに。
進介  ここって人通るのか。
奈緒子 あんまり通らないかなー。山道だし、普段はツーリングする人が立ち寄る店だから。
進介  こんな雨でもツーリングする人はいるのか。
奈緒子 普通はいないと思うよ。事故ったら危ないし。
進介  じゃあ意味ないじゃないか。

車が通る音。

奈緒子 あ!ほらほら!車通ったよ!
進介  中が見えないだろう!

バイクが通る音。

進介  あ!ほら今のバイク!あの格好はどう考えても男だったろう!
奈緒子 わからないよ。男装してる女性かもしれないじゃない。
進介  それを言ったらキリないだろう!
奈緒子 それにヘルメット被ってて分からなかったし。
進介  じゃあやっぱり意味ないじゃないか!
奈緒子 確証がないから無効よ無効。

 進介、立ち上がり帰り仕度を始める。

奈緒子 あ!ちょっと待って!あともうちょっとだから。
進介  なにが。
奈緒子 コーヒー。もうすぐ店長が帰ってくるから。それだけでも飲んで帰らない?
進介  …… まあ、身体冷えたしなあ。

 一台の車が窓の外を通る。この店の駐車場の方に回ったようだ。バックして駐車している時の音が聞こえてくる。

奈緒子 店長、帰ってきたかな。
進介  そうみたいだな
奈緒子 …… ってことはさ、今窓の外を横切った人は、店長だって確証があるよね。
進介  そうだけど…… 。
奈緒子 忘れてないわよね。次にこの窓の前を通りかかる人が、女性だったら離婚する。

 奈緒子、ニヤニヤしている。進介、その様子から何か感じ取り、やがて気づく。

進介  あ!
奈緒子 じゃあ私、迎えにいってくるから。

 奈緒子、逃げ出すように下手にむかって出ていく。

進介  ちょっと…… 。

 進介、脱力しきってイスに座り込む。

進介  あいつはああいうところがあるからなあ。強引だけど計算高いというか…… 。

 進介、腕時計を見やる。伸びをして、

進介  ま、今日はゆっくり話すかなあ。最近そんな時間無かったし。

 進介、ふいに窓の外を見る。目を凝らして、二度見。

進介  あの猫はオスかな…… 。

(了)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?