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【後編】推しが死ぬ映画を映画館で11回観たひとの1年間の記録 ~配信開始おめでとうございます~


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※この文章はタイトルからもお察しの通り、某呪術アニメ映画の盛大なネタバレを含みます。固有名詞や具体的な展開には極力触れませんが、察しのよい方であればポスターを見た瞬間「あ、このキャラ亡くなるんだ……」と理解できるレベルで配慮が行き届いておりません。タイトルを見た時点で「推し」が誰のことかわかる方、本記事を笑って読み流せる方、同じ傷を舐め合っていただける方は、何卒よろしくお願いいたします。


前回までのあらすじ

推しが死ぬ映画だけを生きる希望に半年生き延び、とりあえず6回観た。


主な登場人物

・推し…死ぬ。
・私…筆者。推しが死ぬ映画を11回観る。
・友人A…高校からの親友。
・友人B…好きになったキャラクターが9割死ぬ。
・友人C…筆者をよく2.5次元ミュージカル観劇に誘ってくれる。
・バ先の皆様…とってもやさしい。
・母と兄…母と兄。


記録


7回目 グランドシネマサンシャイン池袋(2.13)【4DX】


未だ胃腸のあたりに居座っている鈍痛に苦しみながら、約1週間後、私は再び同じ映画館を訪れていた。今度はひとりではなく、学部時代の友人Cと一緒である。


某呪術映画では、その数日前から「4DX」という上映方法が開始されていた。実を言うと5日時点ですでに4DXが始まっており、例のボードも4DX化を祝した特典だったのだが、前回鑑賞時には混雑を見越して見送っていたのである。でもせっかくだから4DXの推しも観たい。そこで、以前から映画に興味を示してくれていたCに声を掛け、予定を合わせて臨んだのだった。


4DXというのは非常にアミューズメントパーク感の強い上映スタイルで、なんと映画の展開に合わせて席がぐわんぐわん動いたり、風や水しぶき、匂いまでも再現されるというのだ。例えば登場人物がジャンプするのに合わせて席も上下したり、地面に叩き付けられれば座面がぐりっと動いたりする。4DX設備を備えた館というのは都内でも限られており、「グランドシネマサンシャイン池袋」はそうした最新鋭の設備で映画が楽しめることを売りにしたおもしろ素晴らしい大型映画館なのである。


私は以前にも1度4DXを体験したことがあったが(某巨大な縦穴に潜っていく少年少女の冒険を描いたファンタジーアニメ作品だった。前出の友人Bに誘われてついていき、展開のあまりの惨さに呆然としながらゆらゆら揺れる席に揺られていた)、Cは某呪術映画も4DXも初めてだった。ひとによっては座席の動きに酔うこともあるらしいから心配だったのだが、当の本人は「ぜんっぜん大丈夫!」とにこにこしながらふたりぶんのチケットを予約してくれた。ありがたい限りである。私のまわりには仕事のできる屈強な友人しかいないらしい。


さて、4DXで観る推しもやはりたいへん格好良かった。もちろん推しが登場する以前にもすばらしポイントはたくさんあって、例えば雨粒(という設定の普通の水)が降り注いできたり、切り刻まれた化物の体液(という設定の普通の水)が顔に吹き付けたりする。わあすごい、と思っているうちに推しが戦い始めるともうえらいこっちゃで、スクリーン上の推しが殴って殴られるたびに背中やら肩やらにぼこぼこ衝撃がくるのである。もう少し強めに押してくれたらマッサージチェアとしてちょうどよかったのだが、推しがこんなにもみくちゃにされていると考えると思わず笑いそうだった。


しかし、いよいよ推しが死を迎えるという段になると、椅子はぴたりと鳴りを潜めた。やはり何度観ても「死なないでほしいな……」と息を詰めてしまうのだが、その日、推しの命の灯が消えたちょうどその瞬間、座席の機構が作動し、シュッと小さな音を立てて、私の顔の横を風が吹き抜けていった。その微かな風圧を頬に感じながら、ああ、ほんとうに推しは死んでしまったんだな、と心から納得できた気がした。



Cは、映画も4DXもずいぶん楽しんでくれたらしい。楽しかったねえ、と言いながらファミリーレストランで昼食を取っているとき、流れで就活の話になった。学部時代からの友人のうち、唯一の就活経験者がCである。就活中当時のCはほんとうにつらそうで、その姿を憶えていることもあって就活への恐怖心には並々ならぬものがあった。そのうえべつに希望の業界があるわけでも、やりたいことがあるわけでもないのだ。


博士には進まず就職するつもりだけど、いまからぜんぶが嫌になっている。なんとか推しを観ることで落ち込まずにいるけれど、映画が終わったらいよいよだめかもしれない。そんな話をしたら、「じゃあまたミュージカルに誘うね」とCが言った。これまでも何度も観劇に誘ってもらっており、曰くまた近々Cの好きな2.5次元ミュージカルのライブビューイングがあるということだった。「○○さん(私の推し)の過去エピソードもアニメ化するかもしれないよ。騙しだましなんとか生きられるもんだよ」なんてCが言うので、そういうものだろうかと思いながら、ライブビューイングの日程を確認するべくスケジュール帳を開いた。



8回目 ユナイテッド・シネマ札幌(2.19)【4DX】


心身を傷めつけながら推しのイラストボードを入手した2週間後。私は新たな入場特典を手にするべく、どういうわけか母とともに、北海道は札幌市の映画館に立っていた。



今度の入場特典は第4弾で、なんとキャストや製作陣のここでしか読めない対談が掲載された冊子なのだという。もちろん私の推しについても、キャストさんが詳細に語っている、らしい。その告知がなされたとき、めちゃくちゃ欲しい、と思う反面、今度こそほんとうに入手は無理だな、と思った。ちょうどその配布開始日が、家の用事で札幌へ行っている日とバッティングしていたのである。


2月中旬から父と母が札幌入りし、そこに私が合流する手筈だった。用事をちゃんと済ませるには数日程度かかる。すべてを終えて東京に戻ったときには、すでに配布は終了しているだろう。仕方ない、と割り切って無事札幌へ辿り着いた私は、両親とともに細々したことを片付けていった。


作業がひと段落したのは18日頃で、仕事がある父はひと足先に札幌を発った。あとは明日の午後早くにやることが残っているだけだ。母と話しているうちふと、頑張れば映画に行く時間があるのでは、という非常に邪な気持ちがむくむくと湧いてくる。配布開始日はちょうど翌日だ。そうだ、せっかくなら母に4DXを初体験してもらうというのもありではないか。しかし、私のように推しへ偏執的な感情を抱いているわけでもない母に、2度も同じ映画へ行ってくれと頼むのはいかがなものだろうか。でもたぶん札幌なら特典も手に入りやすい。どうする、どうする──。


思い悩んだ末、結局私は母へ、全国の映画館で推しに関する特典が配布されること、4DXというアトラクションのようなものがあるからよければ観にいかないかということを、おそるおそる切り出してしまった。それに対する母の反応は予想外のもので、「そういうことは早く言いな!! もらえるもんはもらお!!」と突如として乗り気になり、4DXについても「よくわかんないけどなんでもやってみよ!!」と全面的にノリノリであった。そうとなればと大慌てで映画館を検索したところ、東京には及ばないがさすが道庁所在地、目当ての回はすでに予約でぎちぎちであり、もう最前列の最左端2席しか空席がない。滑り込みで予約を済ませ、明日の用事が終わり次第すぐに出発することになった。母はそのときになって、「え~いちばん前は見づらくない?」と若干渋り出した。



母子ふたり、慣れない札幌の地で若干迷いながら目的地に到着すると、館内は学生や若者でごった返していた。さすが推しの特典、札幌市民にとっても非常に魅力的であるらしい。というかこんなにひとがたくさん来るなら、もしやすでに配布は終わっているのではないか。焦り始めた私の眼前で、入場ゲートにやってきた店員さんが、大量の特典の束を卓上へどかんと置くのが見えた。めちゃくちゃ余っていてよかった。



しかし、予想外の問題はそこからだった。


無事特典をいただいて荷物をロッカーへ預け(4DXでは事故防止のため、荷物は極力持ち込まないように、という注意事項がある。それを知った母は「えっそんなに激しいの?」と不安げにしていた)、いざ我々の席に着く。最前列で映画を観るのは私も母も初めてのことで、スクリーンはめちゃくちゃ近いしなにせいちばん端なので、きっと観づらいだろうな、というのは覚悟のうえである。


そんな我々の席のまえに、見慣れない黒いバーのようなものが立っているのが気になった。コンビニの駐車場にある事故防止のパイプのような形をしていて、ちょうど座ったときの胸あたりまでの高さがある。なんだろう、と考えて思い至った。そうか、ここから水やら風が出るのだ。これまでの4DXではいつも誰かの席のうしろに座っていたから縁がなかった(座席の背面にも水の出る機構がついているので、最前列よりうしろの席に座った場合は前の席の背中から水が飛んでくる)。最前列はここから直接水が出るらしい。よく見ると水量調節のつまみまでついている。


納得したはいいが問題はその後だ。上映が始まり、スクリーン上で雨が降り始めた途端、大量の水滴が顔面に降ってきた。飛沫というより噴射である。水の出がめちゃくちゃ多い。前回の4DXは絶対にここまでの水量はなかった。座席の背から水を出すよりそれ専用の機械から直接出すほうが勢いがいいのはまあわかるが、まさかここまで噴き出すとは予想外である。これはさすがに調節したい、と目を凝らすが暗闇に紛れて水量調節のつまみの位置がまったくわからない。おろおろしているうちに作中で化物が切り刻まれ、その体液を演出する水でまた顔がびしょびしょになった。ちょっと溺れるかと思った。


結局最初から最後まで、私は雨やら化物の体液やら推しが命を奪ったモブキャラクターの血飛沫やらを顔じゅうに浴びまくった。マスクは結露したのかと思うほどびしょ濡れだ。明るくなった場内で顔を拭いながら「しゃっこい(※「冷たい」の意)……」とつぶやくしかない私の横で、これがデフォルトであると思っている母は「U○Jみたいで楽しいねぇ!」とめちゃくちゃはしゃいでいた。母が楽しめたならよかった。


もちろんこれは映画館の落ち度でもなんでもないので(今度から早めに水量調節をしておこうと思いました)、映画館自体はたいへん素敵な場所だった。いちばん驚いたのはシアター内に雪が降ったことだ。無論天井に穴が開いているとかいう話ではない。4DXの機能として、天井から雪を模した粉末が舞い落ちてきたのである。東京で観た際にはこんな演出はなかったから、驚いて見入ってしまった(母も小さい声で「雪だぁ」とはしゃいでいた)。4DXでどのような演出があるかはその映画館ごとに違う、という話は聞いたことがあったが、さすが北海道、粋だなあ、と温かい気持ちになった。


もうひとつの発見は、最前列で映画を観る楽しさである。たしかにずっと画面を見上げている格好になるから「観づらい」といえばそのとおりなのだが、いつものようにいよいよ推しが死ぬという場面に差し掛かって、驚いた。推しが、自分の目の前に座り込んでいるように見えるのである。推しが目の前にいる、と思っていると、推しの最期のやわらかな表情が、まるで相対していると錯覚しそうなほど近くで移ろっていった。


これまで擦り切れるほどに観てきたはずの推しの死を、改めて眼前に突き付けられたような気がした。それと同時に、こんなに臨場感たっぷりに推しの活躍を観られるなら、また最前列に座ってみてもいいかもしれない、という相反した気持ちが渦巻く。食わず嫌いをせずに、今後はいろいろな席を試してみようと思った。



ちなみに、その後突然の大雪によって札幌市近郊の交通網が麻痺し、3日間余分に札幌へ滞在することになったのはいい思い出である。これでこそ北海道だなあ、とだらだら過ごしたのち、大混雑のJRを掻い潜り、這う這うの体で東京へ帰った。当時北海道へお住まいの方、旅行や受験に来ていた方につきましては、ほんとうにお疲れさまでした。



9回目 TOHOシネマズ池袋(3.21)


──ついに、恐れていた就活が始まってしまった。


まあ始まったといっても、まだこの時点では仮エントリーをしたり、証明写真を撮ったり、説明会に申し込んだりと、せいぜいそんなところだった。それでも、そもそも労働をこの世のなによりも憎んでいる人間が就職に関する行動を起こすというだけでとんでもないストレスだし、慣れない文章を書いたりスーツを着たりというだけでだんだん気が塞いでくるものなのだ。4月になれば諸々の活動がさらに立て込むことは目に見えているし、もうこの世のなにもかもが憎い。癒しがほしい。心に潤いが足りない。憎悪に満ちた社会生活で屈折したこの心を浄化してくれる存在はないものだろうか。



そういうときこそ推しです。



公開から数ヶ月が過ぎ、映画を取り巻く熱気もおおかた落ち着いた印象を受ける時期に差し掛かっていた。いまのところ上映終了という話は聞かないけれど、こういう時期に細々とでも貢献することで、推しをより長い期間大きなスクリーンで観られるかもしれないと考えれば自然と心も上向く。というか純粋に格好よい推しが見たいのだ。アルバイトを早めに上がれたのを幸いに、レイトショーをやっていた映画館に駆け込んだ。


静かな気持ちで開場を待ち、入場列に並ぶ。購入したチケットをスタッフさんにお見せしたら、優しい笑顔とともになにか大きな紙を渡された。なんだなんだと思って見ると、なんと推しの姿がある。しかも原作漫画のタッチ、色遣いである。ナニコレェ、と喜びに打ち震えながら思い出した。そういえば少しまえに「第5弾特典配布開始!」なんていう情報が公式アカウントから出ていた気がする。それが原作者の先生のイラストを使用したイラストボードだった。しばらく劇場には行けそうにないし、行けるようになったころにはもう配布が終了しているだろうと思って、その存在をすっかり忘れていたのである。まさかもらえるとは思っていなかった特典をいただけるだなんて、まるでサプライズプレゼントをもらったような気持ちだった。推しを観るまえからとっても嬉しい。原作の先生が描く推しは表情が鋭く、悪人づらがよく似合っていた。


無事席に着き、いただいたイラストボードをいそいそと仕舞っていたら、すっかり脳に焼き付いた冒頭シーンが始まった。少し小さめの、ぽつぽつと空席の目立つシアターで大好きな推しの死を見届ける。いつもどおりの展開、いつもどおりの映像だ。心なしか戦闘シーンに目が追い付くようになってきたな、と思い始めたころ、楽しそうに三節棍を振り回していた推しは、やはり晴れやかにその短い生を閉じた。


オレンジ色の照明に照らされた終映後のシアターの様子がどういうわけか頭に残って、その光景を反芻しつつ帰路についた。あんなに盛り上がっていた映画も、やはり少しずつ入りが減っているのを感じる。もしかしたら、大きなスクリーンで好きなときに推しを観られる生活も、そろそろ終わりを迎えるのかもしれなかった。


家へ辿り着き、部屋の壁、ちょうどパソコンから顔を上げると目に入る位置に、その日もらったイラストボードを貼り付けた。苦難に満ちた人生で推しがあれだけ頑張っていたのだから、命のやりとりもないたかが就職活動で弱音を吐くなんて推しに申し訳が立たない。……かといってすぐにやる気が湧いてくるというわけでもなく、とりあえずノートパソコンの電源を点けて、悪人づらの推しをしばらく眺めていた。



10回目 キネカ大森(5.9)


いまこれを書くにあたり半券やらなんやらを見返してみて、この回は前回からずいぶん間が空いたな、と気付いた。たぶん新学期が始まり就活も本格化して、なんだかんだ忙しかったのだろう。映画の存在を忘れていたといえば嘘になるが、学業や就活をこなしたあとに映画館へ赴くだけの気持ちのゆとりがなかった。


スケジュール帳を見返すと、4月から徐々に見え始める「エントリーシート締切」や「web説明会」の文言が、5月になった途端ページが真っ赤になるほど激増している。この10回目の日はたしか、エントリーシートを書き続けるだけの連休を過ごしたあと、バイト終わりにふと「あ、推しが見てえな」と思ったのだった。どこへ行こうかざっと調べたら、公開から半年経っただけあって、どの館も1日の上映回数を大幅に減らしている。しゃあないよなあと思いつつ、それでもやっぱり観たいので必死に探していたら、その時間から行って間に合うレイトショーがあるのは、いつも大変お世話になっている「キネカ大森」だけであると知れた。



予約状況を見た限りだと私以外にほぼ観客はいない。札幌での鑑賞で味を占めた私は、せっかくだから最前列の、それもど真ん中で推しを拝もうと考えた。「こちら最前列でして少し見づらいと思いますが」と優しく教えてくださった店員さんに「だいじょぶです」と元気よく応え、入場開始までロビーに座って待つ。


ロビーには私のほかに、4、50代くらいの見た目のスーツ姿の男性がふたりいるだけで(どちらもくたびれた雰囲気のおじさまだった。月曜だったので、たいへんだったんだなあ、と思いながら視界の端で見ていた)、フロアは嘘のように静まり返っている。ほかの作品を観にきたのかな、なんて悠長に構えていたら、その男性ふたりともが私と同じシアターへ入ったから驚愕した。私の推しは、社会の荒波に揉まれる男性陣にも大人気らしい。



実を言うと、視聴環境でいえばこの日が11回中の最高回だった。


最前列中央を陣取る私に対し、ひとりの男性は中央後方寄り、もうひとりの男性は最後列と、全員じゅうぶんなパーソナルスペースを確保できている。そして3人しかいないとあって場内がたいへん静かだ。他の観客の動作や声が気になるということもない。ちょうど推しの登場シーンあたりで微かな鼾が聞こえ始め、どっちかのおじさんまじで疲れてたんだなと思うと非常にほっこりしてしまった。それも非常に控えめな音量なので気が散るほどではない。


上半身を思う存分座席に預けながら、すっかり脳に染みついた推しの表情を見上げていた。やはり推しはその生を全うし、深い余韻を残しながら、場内の和やかな空気感とともに映画は終わった。



男性ふたりに続いてシアターを出ると、どうやら我々の回が最終だったらしく、スタッフの皆様がロビーの掃除を始めているところだった。会釈をしながら3人でロビーを抜け、3人でエレベーターを待ち、やってきた箱に3人で乗り込む。それぞれの角に行儀よく立って無言で地上へ下りながら、このなんともいえない連帯感が最高だなと内心うずうずしていた。私も同じくらいの歳のくたびれたサラリーマンだったら絶対話しかけていた。たぶんそのままみんなで居酒屋とか行った。


開ボタンを押してくれた男性に会釈をしてエレベーターを降り、一抹の名残惜しさを憶えながら、これからこの回に通おうかな、とぼんやり考えた。この客の入りである、上映がいつまで続くかはわからないが、こんなに穏やかな気持ちで推しの死を見届けられる理想的な環境はほかにないだろう。この時間なら面接やバイト終わりにも通える。これから本格的に始まる選考をこなしたあと、心を癒すために映画に駆け込むというのも悪くないのではないか。そうすれば昨年のあの頃のように、これからの就職活動も乗り越えられるかもしれない。擦り切れ始めた心がわずかに持ち直したのが自分でもわかった。




「5月29日を以て、全国一斉に上映を終了する」という公式アナウンスが出されたのは、そんな翌10日のことである。



11回目 TOHOシネマズ池袋(5.28)


課題やエントリーシートに追われ、結局映画館へ行く時間が取れたのは上映終了の直前になってからだった。29日は日曜ということもあって、どの館も混み合うだろうことは容易に想像がつく。だから、前日のレイトショーで、ほんとうにほんとうの推しの最後を見届けようと思った。


事前の予約が必要ない程度にはゆとりがあったけれど、実際に映画館まで来、販売機のシート選択画面まで辿り着いたときには、選べる席はもうわずかになっていた。前方でも後方でもないいちばん通路側を選び、たくさんの観客とともにシアターへ入った。


おそらく、いままででいちばん、観客の年齢層が広い回だったと思う。若者もいれば、私の両親くらいの年齢のひともいて、中くらいの広さのシアターに老若男女入り混じっている。記憶に残っているのはひとつうしろの席に座っていたふたり連れだ。見たところ3、40代の仲睦まじいご夫婦で、ふたりとも楽しそうに某呪術映画や原作漫画の話をしていた。その口ぶりから、映画も何度か観たのだろうな、となんとなく察せられた。



オレンジ色の明かりが消え、穏やかな談笑の声に包まれていた場内も徐々に静まり、もはや生活の一部にも近かったいつもの本編が始まっても、どことなく和気藹々としたシアターの雰囲気は失われなかった。いつもの鑑賞であれば必ず聞こえていたような、微かな物音はほとんどしない。そのかわりギャグシーンでは小さな笑い声が漏れ、重苦しいシーンでは空気が一気に張り詰める。大きなスクリーンで観られる最後の推しを見つめながら、ここにいるひとたちの大半は、この映画を見納めにやってきたのだなと思った。だからみんな、こんなに落ち着いて作品に集中しているのだろう。


やがて推しが主人公たちとの戦いに臨む。いつしか目で追えるようになっていた激しい戦闘を見つめていたら、急にある1カットで、推しが白目を剥いていることに気が付いた。どういうわけか、これまでの10回では1度も気付かなかったのだ。あ、白目剥いてる、と思っているうちに戦闘は佳境を迎える。このシーンが終われば推しの最期だ。ああ、やっぱりいやだ、どうにか生き延びて幸せになってくれないだろうか。鼻のあたりがつんと痛むのを感じながらスクリーンを見ていたら、推しはいつものように、哀しくも晴れやかに、その人生を終えた。



オレンジ色の明かりが灯り、どこともなく聞こえ始めた満足感に満ちた吐息の音に包まれながら帰路についた。熱心に感想を語り合う友人同士もいれば、半券を掲げながら映画館を写真に収める父子らしきふたり組もいる。賑やかな街を足早に歩きつつ、なんだかんだこれくらいで終わるのがよかったのかもしれないと考えていた。

正直、もっと長いこと、スクリーンで活躍する推しを観ていたかった。ほんとうは就活中も推しに生きる気力をもらいたかったし、これからなにを楽しみにこの苦痛を乗り越えればよいのか途方に暮れている。


けれどこのまま上映が続いたとして、万一惰性や飽きが先に立ってしまったらと思うと恐ろしい。やっぱり、少し名残惜しいくらいで──もう少し観ていたかったな、と寂しさを感じるくらいで、きっとこの映画はちょうどいいのだ。ちゃんと推しとお別れができてよかったと、なんだか憑き物が落ちたような心地がした。


……いや、でもやっぱり、今日初めて推しが白目を剥いていたことに気付いたくらだし、もう少し回数を重ねたらまた新たな発見があったのではないか。それを考えると、もうちょっと推しが死ぬのを観にいきたかった。永遠に終わらないでほしい。




翌、5月29日。公開から約半年を経て、某呪術映画もとい「推しが死ぬ映画」は、惜しまれつつも全国の劇場から姿を消した。公式アカウントが半年間のお礼を呟くのを見届けたとき、私の愚かしくも、どこか満ち足りた1年は終わったのだった。



その後の日々(おわりにかえて)


さてその後、「推しが死ぬ映画」という大きな心の糧を失った私は、予想にたがわず就活の荒波に揉みに揉まれることとなった。


エントリーシートは創作活動で鍛えた表現力によりほどほどの通過率を見せたが(小さなことを無駄に壮大に書くことには自信がある)、いざ面接まで漕ぎつけた途端、おもしろいくらいにお祈りメールが来る。発声の瞬間労働意欲のなさと協調性のなさが露見していたのだろう(「適性検査で協調性がたいへん低いと出たのですが、それについてどう思われますか?」と優しく訊かれたことがある。「自覚はありますがこれまでの人間関係で問題に発展したことはないので、業務に支障はないと思います」と答えたら、後日お祈りメールが来た)。


もともと小心者だから、面接の前々日からは面接のこと以外考えられなくなる。最初は「推し観たい……映画また観たい……」と嘆く心の余裕があったが、そのうちそこへ回すだけの思考のゆとりも失われた。食事も喉を通らなくなり、菓子パンひとつだった朝食がゼリーひとつに、それが3個セットのヨーグルト1個に、最終的にグミひとつになった。最後のほうは栄養を取らねばと思って、普段飲まないスポーツドリンクまで飲んでいた記憶がある。


ある日、数日間ぽっかりと予定のない日ができ、ひさしぶりに映画でも観るか、と思い立って都内の名画座へ赴いた。少しだけ軽くなった足取りで駅までの道を歩きながらスマホの電源を点けたら、企業2社から2通のお祈りメールが届いている。それを見た瞬間、張り詰めたものが切れるのがわかった。



べ~~~つに無職でもいっか~~~~~!!!!



よく考えたら推しだって中卒で教祖である。しかも選民思想の。推しがそんな危険すぎる進路選択ののち11年も楽しそうに生きていたのだから、べつに就活に失敗したところでなんだという話である。しかも就活は失敗しても推しみたいに命を奪われたりしない。


そういえば推しも「猿(推しは世界の大半の人間をそう呼ぶ)にはそれぞれ役割があって、金を集めるのと呪いを集めるのがいる」みたいなこと言ってたし、おそらく私は呪いを集めるほうの猿なのだろう。じゃあ金稼ぐなんて無理だよな。人間には適性というものがありますからね。なんだかんだ助けてくれるシステムも世の中にはあるし、こちらがちゃんと助けを求めれば、最低でも、生きていくことはできるはずだ。


母にそれを告げると「無職はだめだけどフリーターならぜんぜんいいよ」とお許しをもらい、(私)「週3勤務でいい?」(母)「えー週5!」(私)「5時間勤務週4でどうですか!!」と交渉を重ねていたところ、ある日突然内々定の連絡が来た。フリーターになる気満々でいたからびっくりした。ほんとうに運がよかったと思う。



かなしいかな私は、明確な生きる希望が見つからなくても、なんだかんだ生きようとできてしまう部類の人間らしい。ただ、極限まで気分が落ち込んだとき、起爆剤になってくれたのは間違いなく推しであり、推しが死ぬ映画の存在だった。彼とこの作品がなければどんな理由をつけてどこへ逃げていたかわからない。


さらに考えると、推しが死ぬ映画を心待ちにし、映画館へ通い続けた私の言動に呆れつつ、おもしろがって生あたたかく見守ってくれた周囲のひとびとにも助けてもらっていた。「推しが死ぬ映画を観るまでは死なない」というより、そうやってなにかに躍らされる自分を表面に押し出すことで、自分の内心や周囲のひとびととの均衡を図っていたのかもしれないと、いまさらになって思う。いつも同じ話しかしない私に付き合ってくれるひとが、周囲にこんなにいてくれてよかった。やっぱり私はあの1年、間違いなくこの映画に救われていたのだろう。



さて、某呪術アニメはというと、その後映画のパッケージが発売されたり(予約購入したし手元に届いてからは擦り切れるほど観ている)、推しのフィギュアが発売されたり(予約購入したし手元に届いてから舐めるように写真を撮った)、第2期テレビアニメの内容が予告されるなどした。心配になるようなニュースもときどきあるが、原作漫画も少しずつ巻数を重ね、つい数日前などはなんと第2期アニメの放送時期まで明らかになった。


来年7月放送予定のアニメ2期では、若かりし推しとその友だちの、大きな絶望と選択が描かれるそうである。原作屈指のしんどい、かつ私の大好きなエピソードであり、おそらくその頃私は、今度は社会人として荒んだ生活を送っていることだろう。また生きる希望を推しに求めながら、推しの苦難を観て心を千々に乱す、情緒の乱れた日々が続くに違いない。


それがいまから恐ろしく、そしてなにより楽しみだ。





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