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自己肯定感って、どうやら自分を好きになることじゃないらしい

「自己肯定感を高めるためには」

こんなタイトルの記事をよく見かける。

そういう記事にはだいたい、「自分を好きになろう」と書いてある印象がある。そういうことの蓄積なのか、いつの間にか「自己肯定感=自分を好きになること」だと思っていた。

自分の全部が嫌いなわけじゃない。存在そのものに意味がないと思うこともそんなにないし、自分の意見に価値がないとは思わない。そういう意味では私は自己肯定感が高いのかもしれない。

けど、低いな、と思う時もある。自分の行動に自信が持てないことなんて山ほどあるし、会う人話す人全員じゃないけど、人からどう思われてるのかも気になる。嫌いな自分もいるし、人から指摘を受けると必要以上に落ち込んでしまう時もある。


「自己肯定感」という言葉にこれまでで一番敏感になったのは、どこに進んでも、進まなくても辛い状況になった時。6~7月にかけて、ずーーーーーーーーっと焦りと戦っていた。

このままじゃだめだと思ってるから足を踏み出したいけど、どこに踏み出しても悪い結果しか見えなくて、一歩が踏み出せなかった。やっと踏み出しても、そっちに向かって歩き出せなかった。それでも時間は過ぎていくし、でも踏み出した方向がまったく間違った方向だったらどうしよう。でも……

頑張りたいと思ってるはずなのに行動が伴っていない自分、人を傷つける自分、自分を責めるしかない自分。いろんな私が、私を追い詰め続けた。どんどん動けなくなっていた。でも、動かないこと自体も「罪」だった。


その状態から抜け出したかった。なんでもいいから自信をつけるしかないと思った。でもその自信を持っていられる自分がいないと、自信になりそうな出来事も零れ落ちていってしまう。だから、まずは自己肯定感を高めたらなんとかなるかもしれないと思った。

そこで出てくるのが、「自己肯定感=自分を好きになること」。

うーん。嫌いな自分、許せない自分を好きになるって、結構ハードル高いというか、無理じゃないか?

普段なら気にしないような些細なことも「自分のせいだ」と思ってしまう精神状態の中で、「嫌いな自分も好きになろう!」って、なかなかきついものがある。

でも、どうにかしたかった。それでもいいかって笑える自分でありたいと思った。自分の意志で物事を選択できるようになりたかった。毎日毎日絶望しながら、自分だけは「いつかどうにかできる自分」を信じてあげたかった。なにかないか、調べて、考えて、考えた。


自己肯定感って、もしかして "自分を好きになること" じゃなくて "受け止めること" なんじゃないのかな。

ふとそう思って、落ち込んで自分を責めるたびに「でも、これも私じゃん?」と付け加えてその思考を止めてみることにした。強制終了。

そうすると、劇的に!!とまではいかないけれど、ゆるやかに、だけど確実に状況は変わった。「自分を責めてしまうこと」から「どうしても責めるのはもう仕方ない。それが今の自分。だからせめて、その後どうしていったらいいのかを考えよう」という次のステップに目を向けられるようになった。


まだまだ自分を好きだ!!とは言い切れないけど、「まあこれも自分だよな」と思うことにした。今歩き出した道が、いつか振り返った時に全然違った!ってなっても、それはそれでおもしろそう。今ならちょっと、そう思える気がする。

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