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「わかる」の先へ

「あ、わかった!」

そう思う瞬間が嬉しいのは、きっと私だけではないはず。

もやもやしていた感情が一気に晴れるような、すっきりとした気分になるその瞬間は、脳にとってもいい影響を与えるのだといつかテレビで聞いたことがある。

友だちの言っていたことがやっとわかった時、新聞に載っていた数独が解けた時、ずっと抱えていた気持ちを言語化できた時…

点と点が線になると、大きな喜びを得る反面、今まで自分が悩んでいたことが途端にちっぽけなものに見えることもある。


手品のタネがわかった時も、同じような気持ちになる。

「なーんだ、ずっと右手で持ってたのか」

さっきまで魔法のように見えていたものが、一気に違うものとなって見えてくる感覚。タネ明かしは面白いし、タネがあるからこそ成立するものだとはわかっていながらも、それを知らなかった時のわくわくを手放してしまったことにどこか寂しい気持ちも感じるような。


私はずっと勘違いしていたことに、最近やっと気づいた。というか、やっと言語化できた。

手品のタネがわかることと、その手品ができることは違う。

手品のタネをいかに事細かく知っていても、そのタネがばれないように魅せるには、並々ならぬ努力を重ねないといけない。練習あるのみなんだと思う。

言葉にしてしまえばものすごく当たり前なんだけど、このことを自分が勘違いしていることにはっきりとは気づいていなかった。

気づいたきっかけは、ITについて勉強をする中で、自分もやってみよう!と「わかったもの」を作ろうとしたこと。なんとなくわかるようになったし、できるかも。そう思って挑んだものの、まっっっったく思い通りにいかない。もちろんまだまだわからないことが多いのも事実だけど、持っている知識と目の前のものが結びつかない。

うんうん唸りながら作り続けている中で、ふと思った。

これまで自分は、手品のタネがわかったらそれでできた気になってただけだった。わかる と できる が切り分けられていなかったのだ。


そう気づいた私は、「それなら、わかるだけじゃなくてできる人になりたい」と思った。強く、思った。

自分自身ができると思えるようになれば、今よりも自信が持てるようになるかもしれない。そうしたらできない自分も受け入れられるし、好きな自分も増える気がする。ちょっと飛躍してるかもしれないけど。

手品のタネがわかったら、それで満足せずに、できるようになったら楽しいなって練習してみる人になりたい。

そのためにも、今日も学んで吸収して行動して失敗して、わからないことをわかるように、わかることをできるようにしていきたい。

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