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ADHDを自認して・後記

3/14昨日の記事にたくさん反応してくださってありがとうございました


【で、何がいいたいのか。】


大体の反応が「みんな一緒、一緒。気にしなよ。みんななにがし持ってるよ〜」こんな感じ。

そう、

昔、腰を痛めて仕事を休職してたとき「腰ねー痛いよねー。そんなこと。」的な反応多々だった。

わたしだって我慢して頑張ってるのよ。


みんな、我慢してるのよ。

何甘ったれてるの?




いゃ

辞めたらえぇやん。

我慢してるのが喜びならいいけど。

結局、常に文句言いながら、

結局、抜け出そうとしてる人の足引っ張る。


文句もなく、これが好きやねーん!ってやってるんならば、いい。

嗚呼、好きなことしてはるんやなーって。


応援すらしちゃう


わたしが、

何よりも大切にして来たことは、自分を知ることだった。

4才からずーと思考して来た、ど真ん中にいたのは「自分を知ってらしくなれ」の石碑の言葉。


ADHDに出会うまでは、外側の評価やらで形成されたところから決めた自分だった。

だから、ずーと何かのせいから抜け出せなかった。

出会ったいま、嘘のない自分を知ることになって、外側に纏っていたものを剥がれ落とすことが出来た。


と言うか、そんなもので自分を形成していたことに気づけたのだ。

当事者でない人から見たら「障害のせい、病気のせい」に思うだろう。


それも仕方のないことよね。


わたしの中に「障害を持つ人・病気の人」を可哀想と思う感情は全くない。

なので、自分はADHDだ!と好評したからと言って特に何もしてくれなくて、よい(笑)


だったらなんなんだ?!


ただ自分を知って、ちゃんと自分でいるね!

と伝えたかっただけ。


でね、

何かのせいにしてることが「いけないこと・悪いこと」とわたしも思ってきた。


でもね、みんな生きずらい世の中ならば、何かのせいにしてもいいんでないかな?


それはそれで苦しくて、わたしは自分のど真ん中を見つめ続けてきたんだけどもー


自分が自分を知って、分かった上でなにかのせいにするのは、責任とれるなーって。

活用するんだ!くらいになれたらめっちゃ楽になったの。

楽になる=楽しい

。。。

自分に優しくあることで、やっと人に優しくなれる。

そんな気がするんだな。


結局のところ、なんだっていいのよ。

とにかく、生きてる。

それだけでいいのよ。



。。。


脈々とわたしはわたしの生活を送っていて、今朝の少しずつ開けていく闇の中、南の空の半月見ながらわんこと散歩してきたし。

それは、どちらが消えるまで続けられるし。


34年間ご飯作り続けてきたし。

54年間「人」やってきたし(笑)


どんな障害や病気があろうと、なにも変わらない。


でも、知る前と知った後では、世界が違う。

向こう側の景色を見るためにここまで一生懸命歩いて来たね。

偉かったね、わたし(笑)


少しずつ 優しく優しく。

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