優劣を越えた遊び心
「誰もが、誰かの子供なのに…」
ラジオの音楽から
聞こえてきたこの言葉。
とてもパワフルでした。
スーパーで、夕飯の買い物。
レジに並ぶドカタのおじさんに、
「あなたも子供だったのよね〜」
って、心の中で投げかけました。
子供の頃は
悲しければ泣くし、
楽しければ笑うし、素直でしたね。
僕もあなたも 笑。
「走り出すだけで笑う」
そこに優劣は無かったし、
優れていても、劣っていても、
あんまり関係無かったですね。
子供達は純粋な自分として
誰かと繋がっていたと思うのです。
美醜の差で苦しまなかった。
偏差値で馬鹿にされなかった。
運動神経でいじめられなかった。
でも、大人はみんな
優劣に支配されていますね。
「競争社会の現実=真実」
子供の頃には無意識に
越えていた優劣の壁を
いま越えられない…。
それが悲しい。
というか優劣の壁こそ
悲しみの温床。
だから、
もう一度取り戻しましょう。
「優劣を越えた遊び心」
老人達が子供たちをみて
元気になるのは優劣を越えた
遊び心を感じるからです。
優劣を気にしない自分が
いちばん幸せです。
「どんな自分でも平気な自分」
これを取り戻しましょう。
そのためには
心の呼吸を欠かせません。
心で呼吸をしていきましょう。
今日もお疲れ様です。
たき