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そして、現在 ~今、僕にできること~その③

だらだら、書きすぎたので完結します。(笑)

僕に与えられた2週間の療養時間。右足は基本的には安静で床に軽く付くことはできるが、膝を曲げる、歩くことは困難だった。まず家に帰ってきて、困ったのがトイレ。お小水は立ってすれば良いが、大きい方は便座に座るのに足を曲げる必要がある。右足はピーンとなったままドアも閉められない状態でかろうじで便座に座っている。

普段、床にふとんを敷いている僕は妹の部屋にあるベッドを使うことにした。日中はリビングのソファーに横になっていた。たまたま、ネットで購入していた運動生理学の本を読み始める。とても難しい。体に大事な栄養素とか骨格筋の運動について書かれている。それと、解剖生理学の本。学生時代から弱いのが解剖だ。きっとあれは先生のせいだと思っている。いや、医学は難しいということを教えてくれてありがとうと言うべきだろうか。

それと、僕はインスタグラムを6年前からやっている。今覚えばあの時も病気になって、色々上手くいかなくなった年だった。本当に”ピンチはチャンス”に変わっている気がしてきた。インスタで怪我したことを報告した。僕はある事ない事を言われるのが好きではないので、自ら公表することにした。

それと同時期にコロナ陽性者が増えてくる事態になった。4月に入り、アウトドア系の店も休業やイベントを中止するようになってきた。僕自身、コロナへの認識は2月に入った時から始まっていた。基本的に外食をしないようにした。休日は山かスキーのどちらかだったので、人と接触するときはマスクをしていた。医療者は既にインフルエンザ対策を冬に入ると行うため、意識は高いと思う。住んでいる所のコロナ発生状況を追いながら、感染経路に留意していた。

非常事態宣言となり、減らされていた親の仕事が今月はなくなった。そのおかげで介護も受けられるのだが、東京にいる妹も仕事が休みになった。愛知にいる妹も仕事が休みになっては困り、テレワークになった。3月あまり意識していなかっただろうコロナが急激に広まり、生活に影響をきたすようになった。東京にいる妹は小さいアパートで缶詰状態だった、SOSが来てもおかしくないだろうと思っていた。そんな時、弱音を受け止められる存在でありたいと思った。妹が好きな飼っている犬をTV電話で見せたり、コミュニケーション力について伝授したり、気晴らしに散歩などをするよう伝えた。今まであまり会話が成り立たない兄弟だったけど、久しぶりの長電話で少し仲良くなれた気がした。何より妹の明るくなった声が何よりの救いだと思った。

そして、僕はブログを始めた。突如思い立ったのではなく、少し前に仲良くさせてもらっているドクターからのアイディアでもある。知り合った当初から、僕が教育に興味があることを知ってもらっていたからか、先生が僕に”看護塾”はどうだと言ってくれたのだ。その時は、「なんだか宗教みたいになりそうですね」と笑い話で終わったけど、それも1つの方法だなっと思った。現代社会、必要な情報は自分で手に入れることができる。好きな事を好きな人から学ぶ時代。僕にできることがあるなら、僕の思想を多くの人に伝えるということだった。今は看護の話はほとんどしていないんだけど、まだ偉そうなことを言える身分でもないんだけど、看護師の数だけ看護観があるのなら、ここまで自信を持って伝えられるようになった事を表現しても良いのかなと思えた。

体が動けなくなった今、毎日教科書を見ていてもそれは自分だけのためにしかならず、この知り得た情報を共有することで初めて意味を持つのではないかと思った。もちろん早く怪我を治すことが最優先だと思っている。それでも、足はすぐに言うことを聞いてくれず、2週間が経った今も大きく変わらない。毎日、午前と午後に教えてもらったリハビリを行って、上半身の筋トレをして、少しずつ足をついて歩く練習をしています。少しずつでは、ありますが、良くなっている実感もあるので、僕はこの現実を受け止めています。

1つ、人間が外に出て仕事ができなくなった時、どのように生き延びれば良いのか、そんなことを考える機会にもなりました。僕は人の世話をさせてもららう仕事なので、あまり考えもしなかったですが、手を差し伸べてあげられなかった時、自分に何ができるのだろうと強く思っています。そしたら、苦手な声を届けようかな、それより話を聞く方が良いのかなと色々考えています。怪我やコロナのせいで、より誰かの役に立ちたいと思うようになったし家族や友人、職場の人たちとの繋がりをじっくり考えることもできた。

長々と読んでくれた皆さん、ありがとうございます。
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