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スマホ依存を促す社会

スマホなしで生活ができるでしょうか?

現代人、とくに20代以下の若者は、絶対にムリだと大声で叫びます。スマホがなければ、連絡も取れない、娯楽も享受できない、地図も使えない。日常生活をおくることさえできなくなる、いや、日常生活がおくれなくなります。
これだけ読めば、「最近の若者は」の常套句で片付けられます。実際のところは、若者だけがスマホなしで生活できないと言っている訳ではないです。

20代より上の方々だって、スマホを使っています。「なくても困らないけど、あったら便利」「なくてもいいし、なくてもいい」と、捉え方がワントーン下がるのではないでしょうか。
そもそも、スマホをはじめとした電子機器、パソコンが代表的になりますが、それがないと仕事ができないです。

否が応でも電子機器とともに生活をしなければ、食べていけません。一切仕事をしないで自給自足生活をおくれないこともないでしょうが、現実的ではないです。
この資本主義社会において、「金は命よりも重い」のセリフにあるように、お金がないと生活できません。稼ぐしかないんです。稼ぐには、電子機器の力がいります。

稼ぐいち道具として、パソコンやスマホは利用されています。まあ、今回はパソコンは脇に置いときますけど。
その一方で、スマホでお会計をしたり、電車に乗ったりといった、スマホがある前提で社会が形成されていっています。必須ではないけど、ある前提で変化しているのは肌で感じられると思います。

仕事でも日常でもスマホを使う。接触する機会が多ければ多いほど、スマホに依存する確率も上がります。
また、各種SNSで稼げるようになったものスマホ依存を促しています。おもしろいことを発信すれば、お金になる。稼げる感覚を得たら、それに必死になります。結果、あらゆるSNSは「おもしろい」ことで洪水しており、溺れる人が多数発生すします。
溺れている人に浮き輪を投げたり、助けを呼んだりする人もいません。だって、その人も溺れているから。そもそもスマホと疎遠な人は、「溺れている人がいるなぁ」と、どこか別の国の出来事と捉えるだけでしょう。

「稼ぐ」と「消費」がたった1つの機械で行えるようになっていけば、自然とそれに依存するのは不思議ではありません。
社会が「スマホを所有する」ように仕向けているんですから、個人レベルで解決するのは難しい……。たちの悪いことに、依存を促す社会は、依存による影響を自己責任で済ませようとします。依存したのはあなたのせい理論。無責任。

依存ではなく、自律できる人が今後の社会において重要視されると思います。依存ってことは、文字どおり、それがなくなったら終わりという関係性。その関係性が健全かどうかは、言うまでもないです。
依存の裏には庇護を求める心、いうなれば、赤ちゃんと同じ状態です。
まあ、スマホ依存しないようにしようねってことです。

……ちなみに、わたしたちオタクは、つねにママを求めています(笑)

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