自分の代わりなんていくらでもいる
「自分の代わりなんていくらでもいる」
これって残酷なようで、ただの事実です。こと仕事において。
とくに若手、それも新社会なんて代表です。自分ができることは、上司の方が正確に迅速にできます。
「自分だけ」ができる仕事なんて、あったら教えてほしい感じ。
こういった考え自体を持つのが、イマドキの世代感覚なのかもしれません。
少子高齢化の現代において、労働市場は労働者有利です。仕事を選べる時代ですし、なんなら起業やインターネットの世界で食える時代ですしね。
「退職代行」がトレンドになっているもの、そのせいでしょう。
自分に合わないなぁ、思ってたのと違うなぁ、誰でもできる仕事しかないなぁ。
ざっとこんなのが早期に辞める方の意見・感想ではないでしょうか。
正直言って、共感できます。
ぼくでいうと、電話対応や面と向かっての説明は、自分にあってないと思ってます。あとは、この記事のタイトルどおり、「自分じゃなくてもいいよな」と思うことはあります。
自分がいなくなっても絶対業務は滞りなく流れますし、なぁーんも起きないし、だれも困らない。
「自分の代わりなんていくらでもいる」ことを感じる日々です。
なぁーんて悲観的に語ってますが、元からそういう思考なので、大事に捉えてません。だって、それが事実ですし。
まあせいぜい、上司の仕事時間に「雑務」が食い込むくらいでしょうか。別に致命的なことじゃないです。
生涯「自分にかできない仕事」に出会えるとは思っていません。会えたら、超ラッキーって感じ。
というか、変に期待しない方がいいじゃないでしょうか。
「自分の代わりなんていくらでもいる」と考えていた方が、落ち込むことはないです。
「自分にしかできない仕事」を追い求めることは、虹の下に辿り着こうとするのと同じです。一生辿り着くことはありません。
なので、仕事において、「自分にしかできない」を探すのは辞めた方がいいです。
別のことで探した方が、よっぽど現実的。
だからといって、仕事をテキトウにやればいいとは思いません。
「自分じゃなくてもできること」ができないと、「自分にしかできないこと」は分からないからです。すべてができる人間なんていません。得意・不得意があるってもんです。
「自分にしかできないこと」を必要以上に立派なものにしなくてもいいはずです。
その前に「同期の中で」や「職場の中で」とかの括弧を付けて、もっと具体化すればいいだけです。
そうすれば、側からみたら「自分じゃなくてもできること」でも、そばから見たら「自分にしかできない」ことになりますから。
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