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役に立たない本はおそらくない


玉石混交。十人十色。種々雑多。この世には、数え切れないほどの文章があり、本がある。役に立つ本を読もう。役立たずな本は読むな。役に立つ本ばかり読むな。役に立つ本もそうでない本もどちらも読もう。

あぁ。

なぜだろう。なぜ、本という無限の色を、「役に立つ/役に立たない」という二項対立で分けて考えてしまうのだろう。という内容は、どこかの記事でも書いたので、また別の一つの考えとして、役に立たない本は無いという仮説を推していきたい。

そもそも、

「役に立つ=useful in no time/soon/extremely quickly」のような捉え方が疑問である。どうして、役に立つという文言には、時間的な速さがつきまとうのだろう。あくまで役に立つというのは、「何かしら役割を演じる上で上手くたち振る舞い得る」という意味のようながする。つまりそこには、時間の如何はあまり関係がないのではないかと。

「useful」という単語は、「efficient(効果効率的な)」とか、「rational(合理的な)」という訳の単語を全くの同義ではないのではないか。この「否定」に違和感を持つのなら、あなたは近代合理主義的な生産性や効率性、合理性と基盤とした「役に立つ」という考えを、無意識的に持ちわせていると、勝手にすいそくする。

スロー・イズ・ビューティフルという本に、ヴォルフガング・ザックスという方の、近代についての意見があるので、引用しますね。

それにしても「時間がかかる」ことはいつから問題となったのだろう。文明批評家で環境運動家のヴォルフガング・ザックスによれば、「時間と空間は克服されるべき障害」とするところにこそ近代という時代の特質がある。(辻信一、2001、94)

そもそも、「時間がかかる」という意識こそ、疑うべきなのではないでしょうかと。役に立つというだけで、勝手に「時間」という意識が付きまとってくること自体、変だし、不思議ではありませんか。

おそらく、「役に立つ」という文言には、遅いも速いもないと考える。そうだとして、「速さ」という意味が付け加えられているのなら、それは恣意性以外のなにものなのだろうか。

ひとまず仮の結論のようなものを書くと、「役に立つ」という言葉は、時間としての速さとは無関係であって、よって「役に立つという本」とは、「効率性や合理性という点において非常に有用であるという意味での役に立つ本」であると断定するのは、いささか短見を患ったものなのではないのかとぅ。

まこんな感じで、一般的な意味に抗って、「役に立つ」という言葉を考え直してみるのですよ。変かな。(変じゃないよね?と押し付けているわけではない)


alalahh・・・・水溶き片栗粉になりたい!!




今日も大学生は惟っている


引用文献

辻信一.2001.スロー・イズ・ビューティフル.平凡社


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