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人形で、観光を

「観光」とは非常に多種多様であると言わざるを得ない。本当に多様である。そう思わされるサイトを、私は見つけた。


「ウナギトラベル」

本人の代りに、人形が観光を行う

まぁ、いたってシンプル。だが、自分の代りに誰かに観光地と言われるような場所に赴いてもらうというシステムは、日本における観光では、割とよくあることだと私は思う。

これに関して、小川功の文献には、観光代行についての文章が見受けられる。

江戸期の庶民が旅に出る際に「村落社会や若者組を代表し・・・代参という大義名分をもつことで、お上の目こぼしを得」⁴⁴⁾たとされる。我が国の観光は伊勢参りというその出発点においてすぐに、数多くの虚偽・虚構に満ちたものであった。〔中略〕幕末から明治初期にかけて存在したとされる、「犬の伊勢参り」といった西欧の「真正性」から見れば荒唐無稽な作り話のように思えるものも、解明に取り組んだ仁科邦男氏によれば「体力に自信のない人などが、犬が伊勢参宮してよいなら、うちの犬を代参させようと送り出した」⁴⁵⁾史実であるとし〔中略〕いかに代参講がブームになったとはいえ、「旅の疑似体験」という思想が本人に代わって、なんと愛犬に代参させようという前代未聞の擬人化の発想にまで到達したことに驚かざるを得ない。(小川功、2017、18-19)

これはまさに、「ウナギトラベル」の原型とも言える事象について言及していると私は思う。

「犬の伊勢参り」どころか、無生物の「人形」に観光の代行をさせようとするのは、どれほど奇妙奇天烈で、空前絶後のように感じられることか・・・。まぁ、空前絶後ではなかったけれども。

また「犬の伊勢参り」だけではなく、江戸には「講」と呼ばれるシステムが存在していた。これも一種の観光代行のようなもので、資金を募って、代表に他人に、伊勢などの観光地(?)に行ってもらう制度だ。しかしその時は、観光というよりも、一生に一度の大移動のようなもので、そもそも行ける数が少なかったということも関係しているのかもしれない。

さて、「人形で、観光を」とタイトルに書いたのは、他でもなくこの形態の観光について考察するため。ということで、色色書いていこう。

人形という自分ではないナニモノかが観光をし、自分の代りになってくれるという在り方は、観光の「本物らしさ」であるのだろうか。極論この観光形態は、自分で体験してはいないのだから、いわゆる一般的な観光から見ると、観光らしいとは言えないだろう。

だが、先ほど引用した文章のある部分に注目してみよう。

「我が国の観光は伊勢参りというその出発点においてすぐに、数多くの虚偽・虚構に満ちたもの」

この文章だ。

日本における観光の始まりは、江戸の伊勢参りであったと私は認識している。もしかしれば、他にもあるかもしれないが、とりあえずこれを観光の黎明的存在として置く。

この伊勢参りという代物が、虚偽や虚構に満ちていたとは、つまるところどのようなことを意味するのか?

これは、日本人が、「疑似体験」を観光において重宝していたということではないだろうか、と私は考える~。

例えばこの観光の疑似体験は、ウナギトラベル以外にもよく見かけるものかもしれない。最近のバーチャル観光やリモートツアー、夢の国を疑似体験するディズニーランド、youtubeの旅動画、ゆるキャン△、文字通り観光代行サービス、その他日本の○○と言われる遠い国や地域の体験できる娯楽施設など。

疑似体験となると、身の回りには以外にたくさんあるように思える。でもしれが、疑似体験であることを知らないままで体験する人もいることも否定できない。それを、「ニセモノだよ!」と指摘するのは、愚昧な行いにほかならないだろう。我々がこの自分の世界が存在しているという確信構造を持っているように、疑似体験が疑似体験ではなく、ホンモノであると信じている人もいるのだから。

人形で、観光を

それは、単なる偽物であるとして切り捨てることが出来ないものだと思う。差し当り、「ドール・ツーリズム」「オルタナティブ(サブスティトゥート)・ツーリズム」とか言っていれば、それっぽくきこえるだろうか。

先ほど引用した文献「非日常の観光社会学 森林鉄道・旅の虚構性」では、小川功氏は、「真正性という西欧概念で、日本の観光を語ることが必ずしも出来るわけでは無い」というようなことを書いていた。(小川功、2017、5)

この内容は、私が「味のしない天麩羅、水で薄めたカルピスの原液或いはカルピスの原液で薄めた水」という内容でメインテーマにしている「シュミラークル」にも通ずるものがあるなぁと感じた。

特に日本においては、他の地域でも同様かもしれないが、西欧独自の観光概念では計り知れないものがあるのだと考えるほかあるまい。特に日本では、観光において重要な位置を占める伊勢参りが、既に虚構に満ちていたものだったというのだから。いいね、ニセモノばんざい。贋作万歳(?)。




今日も大学生は惟っている。



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引用文献

小川功.(2017).非日常の観光社会学 森林鉄道・旅の虚構性.日本経済評論社




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