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味のしない天麩羅、水で薄めたカルピスの原液或いはカルピスの原液で薄めた水🔟

昆布を食べると、珈琲の風味がした。今私が食べているのは、昆布か、それとも珈琲なのか、混同しそうになった。終に舌がおかしくなったのか。(味蕾ちゃんと機能して・・・。)

今私が見ているものは、「イメージ」か「現実」かを明明白白に決めることが出来ない。「イメージ」の底には「現実」がいて、「現実」の上には「イメージ」がある。そして私の生活に、領域に、「イメージ」侵食が始まる。そこかしこに、「イメージ」がある。「イメージ」という情報によって、「イメージ」が決まる。それによって、行動が決まる。ということは、行動の源泉は、「イメージ」ということか。

「イメージ」は偽物か? 「現実」が偽物か?

明確な拠り所を失った現代人は、何が何であるべきなのか、ということが理解できなくなっているような、いないような。

この「味のしない天麩羅、水で薄めたカルピスの原液或いはカルピスの原液で薄めた水🔟」では、今一度、どういったテーマやコンセプトが「味のしない天麩羅、水で薄めたカルピスの原液或いはカルピスの原液で薄めた水」にあるのか、どういったことをこれから書いてゆくのかを忘れないために、記しておこ。

さて

この一連の記事での重要な概念は、「シュミラークル」というボードリヤールが提唱したもので、引用文を使って説明すると、

シミュラークルとは、「オリジナル(原本)」対「コピー(写し)」という対立とは別の仕方での思考を促すもの〔中略〕例えば「地図」は、現実の領土を写し取ったもの、すなわち「コピー」であり「イメージ」であるが、領土争いがしばしば示すように、派生物であるはずの「地図」の書き換えが、現実の領土を規定してしまうことがある。派生物、類似物、二次的な模写にすぎないはずのものが、「オリジナル」であったはずの現実を規定してしまうのである。「オリジナル」とされる現実を規定するような類似物こそ、シミュラークルと呼ばれるものである。(1981、ジャン・ボードリヤール)

これが、シュミラークルと呼ばれるもので、ボードリヤールが独自に解釈した概念でもあるが、実に重要な概念であることには変わりないだろう。

つまり、「味のしない天麩羅、水で薄めたカルピスの原液或いはカルピスの原液で薄めた水」のキーコンセプトは、

引用文にある「「オリジナル」とされる現実を規定するような類似物」を探し出し、それがどのような「イメージー現実」構造を持ち、前近代以前とどのような違いがあり、これからの社会の何を映し出すのか探ること、ということになる。

些細な事から、有名と言われるものまで、あらゆるものを、このシュミラークルを通して見てみようというのが、テーマである。(すでに9記事ほどあるけれども)

しかしながら、正直のところ、この「イメージ-現実」(シュミラークル)構造を持つものは、現代社会にはあまりにも多すぎる感が否めない。なので、この「イメージ-現実」構造の空間の先にあるものを時間的に捉えて、それを書いていけたらなと思っている。極論を言うことも出来るのだが、それだと興が冷めてしまうかなと思うので、慎重に、慎重に、考えていこう





今日も大学生は惟っている。



引用文献

時事用語辞典|情報・知識&オピニオン imidas- イミダス、シュミラークル、https://imidas.jp/genre/detail/L-101-0109.html#:~:text=%E3%82%B7%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%81%E3%80%8C%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%B8%E3%83%8A%E3%83%AB%EF%BC%88,%E3%82%92%E4%BF%83%E3%81%99%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82(2020年7月3日アクセス)



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