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やっぱ狭いわ、ウチの世界。在り来りだけんど
世界というには、しかし狭すぎるだろうか。
とキーボードをカタカタしながら、不図思う。
気づいたときには、不思議とその枠組みから解放されている時もあって、今回はおそらくその場合なのだろう。どうしてか分からない。頭痛がする。選択肢を考えられないほどに、頭が呆けているのかも。
大学の、というか、講義自体大学くらいでしか受けないじゃん。
・・・
大学の講義を受けていると、ちょっとした驚きを感じることがある。いやこれは、誰にも当てはまることではないか・・・。分からん。兎にも角にも、たしかにそうかもと、一種の気づきを得ることが出来た(意図せずして)ことだろうか。
ある講義だ。よくよく考えれば、専攻とはあまり関係がない講義だとも言えるかもしれない。政治学だの、歴史学だの、宗教学だの、言語学だの、え?どんだけ暇なんですかと云われる(かもしれない)ような事ばかり触れてきたから、今更かもしれんないが。
その講義で、というか、最近「もぐり」という単語を知ったことを書いておきたい。その科目の単位を取ることが出来るわけではないけど、それに参加している人のことや状態を指すらしい。シラんけど。
その講義で(もぐりで受けているわけではないが)学んでいるわけだが、よく別の授業の紹介をされる。他大の授業の教授も、これまで見たことが無い訳では無いが、紹介されるということは初めて。
特に興味がないというか、いや別に興味が全然ないというわけでは無いんだけど、不図メールを通して、課題の参考になるかもねと、アーカイブや参考資料まで送信してくれたものだから、まぁ見てやろうか(何様!)と。
そして、ワタシは一種のもぐりをしたのかもしれない。まぁオンラインだし、アーカイブだけど。ワタシの所属する集団としての大学ではなく、ワタシが通っていない大学の講義を、初めて受けた。「もぐり」という言葉を最近ようやっと知り、そしてその「もぐり」(擬き?)を行ったのは、他大の講義だった。
えぇ
別に、良いとも悪いとも思いません。
ただ、ワタシはどこかで縛られすぎていたのかもしれない。自分の通う大学で折角学費を払っていもらっているのだから、そこでの講義だけ、みたいなね。
でも、それに縛られすぎることは、無粋かもしれない。「もぐり」だろうが何だろうが、自分の学ぼうと思えることに対して、それを自らで制限するのは、よした方がいいのかもしれない。ま、なんやかんやで、ここで「もぐり」に対して、嫌悪感が薄れた。
大学名、箱などに縛られるなと云いながら、それにある意味で閉じ込められていたのかもしれない。おぉ、自家撞着。だからこれからは、それに縛られすぎないようにしようと思った。大学名に縛られすぎないようにと。
折角、他大から教授が講義してくれんだから、そこから色々な講義を(単位に関係ないとかはどうでもよくて)、受けてみようかなと思えた。もちろん、講義だけが学びの全てじゃないけどね。
そういえば秋学期は、単位に関係ない講義がたくさんある気がする。なんというか、単位にはならないけど、興味があるならウェルカムみたいな。偶然かもしれないけど、てか偶然だけど、オンラインのメリットみたいなものをちょっと知ることが出来た気がする。
まぁ折角だし、単位にならないけど、受けてみようかなとも思えた。もちろん「もぐり」も含めて。
塞ぎかけていた世界。そこにほんの少し、雷鳴。干天の慈雨とか、沢雨とかではないけど、ちょっとは暇がつぶせそうだ。
さ、また目一杯、頭の中で歩きましょう。
と
今日も大学生は惟っている。
サポートするお金があるのなら、本当に必要としている人に贈ってくだせぇ。