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「幸せになるのが苦手」が終わるまで

集合写真に映る僕の笑顔は、いつもどこか引き攣っている。
お祝いされる側だと、さらにぎこちなくなる。
他人から祝福されるのは嬉しいのだが、申し訳なさも同時に感じてしまう。
自分が幸せになっていいのだろうか?
素直に祝福を受け止められる人間になりたい。
僕の性格を変えたのは、妻との出会いがきっかけだった。

野外映画での初デート

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雨が止まなかったら、妻との関係もそこで終わっていたかもしれない。
まだ付き合ってもいなかった頃、彼女を野外映画に誘った。
河川敷の橋棚にスクリーンを映し、星空やお酒と共に映画を楽しむイベントになる。しかし、当日は朝から雨が降っていた。雨天の場合、イベントは中止になる可能性が強い。僕は性格として最悪を考えるタイプだが、その日はなぜか晴れると思っていた。

「晴れ男なんですね」

待ち合わせに現れた彼女は開口一番、そう言った。
昼過ぎまで降っていた雨は、夕方までに止んだ。
肩まで伸びた髪に、紺色のワンピースを身に纏った彼女と河川敷へ向けて歩く。雨上がりの匂いがした。コンビニに寄っておつまみとお酒を買う。

映画の上映は18時だが、開始1時間前に到着する。
既に陣取っている人が何人かいた。お祭り前のような、どこか高揚した雰囲気が伝わってくる。河原にレジャーシートを敷いた。
線路が真上にあり、電車の走る音がダイレクトに聞こえてくる。

「乾杯」

彼女はビール、僕はハイボールで乾杯をした。
緊張が混じりつつも、仕事や趣味など他愛もない会話をした。お互いに地方出身で東京に来て10年弱。僕はベンチャー企業のマーケターで彼女は伝統ある企業の経理。違う部分も似ている部分それぞれある。2人共に30歳前後で、適度に人生経験も積んでいた。ふと、昔の話になった。

「さとうさんって昔、脚本家目指してたんですね」
「結局、諦めちゃいましたけど」

自嘲気味に笑う。

「でも、さとうさんが脚本家になってたら、こうして一緒に映画に来ることもなかったんですね」
「…確かに」
「そう考えると、人との出会いって不思議ですよね」

陽が落ちて、周囲に人が増え始めた。ほとんどの人がお酒と共に映画を楽しむつもりらしく、陽気な笑い声が聞こえてくる。
出来るだけ、長く一緒にいれたらな。
そんな事を思うのは久しぶりだった。

幸せになるのが苦手

僕は幸せになるのが苦手なのかもしれない。

頭の隅でこんな事を思っていた。
お祝いをされても、素直に喜べない。褒められても、過剰に否定をしてしまう。まるで、幸せになる事を自ら拒否しているようだ。

「いい学校に入り、いい会社に入れば、いい人生を送れる」

地方の長男だった事もあり、両親からこんな事を言われて育った。
当時は「進学校→大手企業→結婚」がの幸せの道筋だったらしい。
しかし、現代ではその方程式が必ず成立しているとは言い難い。

そして何より、僕は学校を中途退学してしまう。
定まったレールを外れないように歩く息苦しさと、様々な事情が重なった。
通信制の大学に入り直すが「〇〇すれば幸せになれる」。条件付きの幸福が頭から抜けない。
両親の言う「偏差値の高い学校、大手企業に入る」が、いい人生を送れる条件なら「学校を辞め、大手企業に入れなかった」僕はいい人生を送れないのだ。

もちろん、言葉遊びなのかもしれない。
ただ、幼少の頃に言われ続けた言葉はどうしても価値観に沁みつく。
脚本家を目指したのもその反動だった。誰かを「見返す」動機は長続きしない。
結局、脚本家を諦め20代中盤に就職。同時に通信制の大学に入り直した。

幸福の形は、人それぞれだと思う。家族、友人、趣味、仕事。
何を大事にして生きるのかは本人の自由だ。
ただ、求める幸福に真っ直ぐ手を伸ばせる自分でありたい。

今では、仕事も生活も落ち着いているが「僕は幸せになっていいのか?」と未だに思ってしまう。「両親は僕の幸せを願ってくれていた」と頭では分かっているものの、それでも実家には帰りづらかった。

まずは「決める」事から始めよう

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数年後。僕たちは結婚した。
こじんまりとしたホテルの1室に、両親、妹、お義母さん、義妹夫婦、友人が集まっている。お義父さんは亡くなってしまい呼べなかったが、10人前後の小さい挙式を開いた。挙式後の食事会でドレスを着た妻が乾杯の挨拶を始める。

「本日は私たちの挙式にご参列いただきまして誠にありがとうございました。挙式は長年の夢であり、このような形で叶えることが出来てとても嬉しいです」

お義母さんは、ハンカチを目元に当て、父と母は涙をこらえている。妹は涙ぐみ、妻の顔を見上げている。

「みなさまご唱和ください。乾杯」
「乾杯!」

全員で乾杯をして穏やかに談笑が始まる。
お義母さんから「ありがとうね。娘をよろしく」と伝えられ、僕の妹と妻が笑いながら話している。母親は「よかったね」と泣き笑いの表情を浮かべ、父親はビールを飲みながら、僕の昔話を始めた。
やや長くなってきた父親の話を、妹が上手に相槌を打ちながらたしなめる。義妹のご夫婦も美味しそうに食事をしながら、お義母さんや母との世間話に花を咲かせている。

家族が増えた。

式場の方から声が掛かり、僕は謝辞の挨拶をしようと立ち上がる。
その場にいた全員の注目が僕に集まった。
かしこまった挨拶に慣れておらず、緊張してしまい便せんを持つ手が震える。

「本日はご出席いただきまして、本当にありがとうございます。妻とは始めて出会った時から、どこか安心して自分らしくいられました。妻がご家族やご友人など素敵な方々に囲まれて過ごし、僕と出会ってくれた事に心の底から感謝しています」

妻を両親に紹介するため、実家に帰った日を思い出す。
久しぶりに会う両親は、記憶より小さくなっていた。はじめて会う妻を家族は全員で歓迎してくれた。
食事は出前でお寿司を頼んだが、お祝い事の習慣は10年以上変わっていない。
会話の流れで僕の子供時代の話になり、何かを思い出したように母が立ち上がる。持ってきたのは、僕の子供の頃の写真が写っているアルバムだ。

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写真を見た僕は、はっきりと感じた。

愛されている。

写真を撮った両親の眼差し、自分の子供を大事に想う気持ちが伝わってくる。写真をじっと眺めていると、母親に声を掛けられる。

「こんな素敵な人と結婚して、あんたが幸せになってくれるなんて本当に嬉しいよ」

僕は、生まれてきてよかったのかもしれない。
漠然と感じていた「申し訳なさ」が溶けていく。
僕も両親もお互いに不器用なだけだった。
多分、似ているんだろう。

その両親が、緊張しながら挨拶する僕を見守ってくれている。
これから、様々な出来事があるだろう。当然だけど、楽しい事ばかりではない。悲しい出来事があるのかもしれない。

お義父さんが生きている間に結婚式は出来なかった、僕は脚本家になれなかった。僕も、家族も、妹も全てが順風満帆な人生ではなかった。

ただ、それでも。
まずは「決める」のだ。そこから始めよう。

「僕たちは、幸せになります」

最後に改めて御礼を述べ、頭を下げる。拍手に囲まれながら、顔を上げた。
目の前には、幸せを祝福してくれている人たちがいる。

妻が優しく、微笑みかけてくれた。
僕も、微笑み返す。
自然に笑えていた、はずだ。

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このnoteは「 #また乾杯しよう 」投稿コンテストの参考作品としてご依頼を受け、書かせてもらいました。貴重な機会をありがとうございました。


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