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夢のはじまりと終わり。高円寺で暮らした6年間

東京にさえ来れば、何とかなると思っていた。18歳だった。
地元の東北から逃げるように上京。誰も自分の事を知らない場所で全部をやり直すつもりだった。
僕の1人暮らしは高円寺からはじまる。

高円寺の風呂なし共同トイレ4畳半。2万7千円

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最寄り駅は高円寺。
築40年を超える木造アパートで共同トイレ風呂なし4畳半。
家賃は2万7千円。
若干古いし、不便な部分はあれど、ここから全部が始まるのかと思うと胸が高鳴った。

家電量販店で冷蔵庫、テーブル、布団など生活必需品を揃え、何もなかった部屋にどんどん生活の匂いがしていくと、何かが始まっていく予感があった。

ただ、いつかこの部屋を必ず抜け出す
部屋の家賃、広さ、新しさは自分のステータスに近いんじゃないだろうか、と18歳の僕は思っていた。

確かに今の自分には風呂なしアパートがぴったりかもしれない。しかし、いつか絶対にいい部屋に住んでやる
場所は、表参道、恵比寿、自由が丘。一度も行った事がないが、TVで聞いたお金持ちが住んでいるイメージがあった。

あくまで、今は成功のための通過点。ここから始まるのだ。
東京で自分の人生を何とかしないといけない。追いつめられていた。

地元を出た僕は高円寺に住む事を決めた。

中央線沿いには若者の1人暮らしが多く、ミュージシャン、芸人、役者などこれから自分の人生を切り拓こうとする人に寛容な街のイメージがあった。高円寺の商店街をぶらぶら歩くと、田んぼばかりだった自分の地元と全く様子が異なり東京に来た実感が湧いてくる。
ライブハウスや、古着、カレー屋、などなど個性を感じるお店が多い。

他人と違っても変に思われない

自分にとってはピッタリの街だった。何をやりたいわけでもなく、東京に来れば何かが見つかる。淡い希望のみが当初はあった。
バイトを見つけ、たどたどしいながらも東京での生活がはじまる。


東京に来れば何かが見つかる勘違い

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東京に住み始めた当初は新宿、渋谷、池袋、全てが新鮮だった。
バイト仲間も大学生、フリーター、専門学校生。20代から40代まで多様な人がいた。ただ、刺激にも慣れる。次第にやる事もなくなった。

東京に来れば、何かが見つかる

と思っていたのは当然勘違いで見つけるのは自分だ。

「将来どうしようかな」

漠然とした不安はあるが、具体的な未来は見えないし、少しずつ焦りも出ていた
現実と向き合う訳でもなく、半ば逃避の意味でレンタルビデオショップで映画のDVDを借りに行った。以前から映画は嫌いではなかったものの、TVや映画館でヒットしている国民映画を観るぐらい。

気まぐれで観た映画に気持ちを根こそぎ持っていかれた。映像にビンタされた気分だった。

パルプフィクション、スナッチ、レザボアドッグス。

地上波のTVで絶対に放送できない刺激が強い映画だった。ストーリーの凄みを感じ、自分も映画に携わる仕事がしたいと思った。

ただ、自分は人前に出る仕事は好きではないし、体力にも自信があまりない。ただ、当時から本は好きでよく読んでいた。

映画に携わって、書く仕事

脚本家になってみたい。ようやく「なりたいもの」の輪郭が掴めた。

バイトも時給がいい渋谷の居酒屋に変わり、学校に通うためのお金を貯めた。学校に通うようになってからは、昼にシナリオの勉強、夜はバイトの生活が中心になっていった。

普段はコインシャワーだが、自分にとってのご褒美が銭湯の小杉湯とらーめんの田ぶしと味噌一。気怠い日々の中での、少しの贅沢。この生活の延長線上に何かが待っている、と思っていた。

変化の兆しが見えない停滞感

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18歳から東京に住みはじめて6年が経った。

プロの脚本家を目指し、いつか必ず引っ越すと決めたにも関わらず、相変わらず僕は同じ風呂なしの部屋に住んでいた。
なかなか生活に変化はない。昨日と同じ日が今日も繰り返される。

知人の紹介でライターをはじめ、書く仕事はあったが、収入は不安定だ。
当時の自分は納期も厳しい内容が多く、フットワーク軽くすぐ動けるようバイトも入れないようにしていた。

こんなはずじゃなかった

20代も半ばになりかけ、同世代は社会人生活を送っている。
全員が華やかに見えた。自分より全ての人が幸福に見えた。同世代の人間に負い目を感じていた。

風呂なしに住んでいるのは自分だけ。自分が惨めだった。
共同トイレ、風呂なしにいまだ住んでいる自分がどうしようもなく嫌いだった。

掃除をするのも億劫になり、どんどん狭い部屋が荒んでいく。部屋の状況は自分の心象風景に近い。

ライターの仕事もしながらコンクールに応募、コンペへの企画書出し。
自分の原稿に向かう毎日が、未来へ繋がっているとは到底思えず、次第に無気力になっていく。

さびしい。

狭く、便利とは言い難い木造のアパート。住みたがる人は少ないだろう。誰からも相手にされない部屋。

まるで、自分と重なるようだった。

目の前の風景が歪み、涙が零れ落ちる。

自分に生きている価値があると思えない。

次第に声も我慢できず、嗚咽が止まらなくなる。
夜の23時。木造アパートで、暖房がない冬は寒かった。
しかし、その冬に慣れている自分も嫌だった。


未来が過去を変えるのかもしれない

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高円寺には普段、ほとんど行く機会はない。ただ、年末年始の少し空いた時間にフラッと寄ってしまう時がある。

結局、脚本家を諦め就職した。18歳の僕は、今の僕を想像できないだろう。
住んでいる場所は、表参道でも、青山でも、恵比寿でもないし、高層マンションでもない。無理だろうな、と思っていた普通の社会人生活も最初は苦労したが、今の自分に馴染んでいる。

平日は、毎日会社で働いている。土日はヨガに行き、時々銭湯でくつろぐのが僕の楽しみだ。
そして、僕は日常を愛している。

久しぶりに高円寺をぶらつくと商店街、飲み屋街、ラーメン屋、古着、ライブハウス、少しずつ街の様子が変わっている事に気づく。
意識しているわけではないが、昔住んでいたアパートの前を通り過ぎる。もう、築数十年を過ぎているにも関わらず、木造アパートは建っている。

僕が住んでいた部屋の物干し竿に、若い男性のものと思われるTシャツが干されている。
この部屋に誰かが住んでいるのだ。
僕はその会った事もなく、顔も知らない男性に小さくエールを送る。

あの部屋での暮らしは、思い出すのに時間が掛かるようになった。
当時は、風呂なしに住んでいる自分が惨めで惨めでしょうがなかった。
目が覚めて真っ先に生まれる感情は自己嫌悪。

ただ、僕の生活はここからはじまったのだ。
思えば、この部屋での暮らしがなければ今の人生に辿り着く事もなかった。

電波が入りづらいテレビで映画を観まくった事も、脚本家を目指す友人を呼んで、スーパーから酒を買い飲みまくった事も、毎年夏になると聞こえてくる阿波踊りの祭りの音、冷房なんてあるわけもなく付けっぱなしだった扇風機、寒い冬の時期。

この場所で6年間暮らした過去が現在と繋がっていると考えると、そう悪くもないと思える。

現実が未来を変えるのはそうだろう。
しかし、未来が過去を変える事もあるんじゃないだろうか。
事実は変わらないが、解釈が変わる。

僕の夢は叶えられず、終わった。
しかし、この部屋とこの街で暮らしていた20代前半は、思い返すと悪くなかった。
全然、悪くなかった。



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