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認知症・当事者の声(※途中まで)

今日は長谷川和夫(元医師)が著者の【ボクはやっと認知症のことがわかった】を数時間読んで、気になる内容をメモのみ残しています。

感想はもちろん後日しっかり書かせて頂きます。
先生のお言葉・想いの部分はできるだけ本文のままメモしていますが、一部要約的になっているところもあります。

まだ序盤ですが、先生の人柄、そして、認知症になってからの葛藤が伝わる、当事者ならではの言葉が続きます。

リハビリ職・支援者としては、日々臨床業務をする上で、一番知りたくて気になることだらけです。
正直、ハッとすることも多いです。

自分的には1章と3章がどうしても気になってしまうので、優先して読んでいこうと思います。

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※箇条書きでひたすらメモしただけの内容です。改行毎に次の内容に移行するイメージです。


【はじめに】

当時、認知症は「何もわからなくなった人」というイメージが強かった。
最大の危険因子は「加齢」=誰もが認知症になる可能性がある
誰もが向き合うもの、怖がる必要はない
団塊世代は2025年に全員75歳以上になる、約700万人が認知症。5人に1人。
認知症になったからといって、突然人は変わらない。昨日まで生き続けてきた連続している自分。
認知症は「固定」するわけではない。寝たらスッキリしたりする。特別ではない。
本質は「暮らしの障害」
自分が認知症になってから、症状が進行している自分をもう1人の自分が見ているような気がする。



【第1章】認知症になったボク 

 ●「確かさが揺らぐ」
自分の体験の確かさがはっきりしなくなってきた。何度確認してもいつまでたっても確信が持てない
認知症になっても「人」であるのに変わりはない
普段通りの生活を送ることが大事。「ボクもこの通り、普段通りの生活を送っていますよ」。
男性平均:81歳、女性平均:87歳(2018年・厚労省データ)。平成の30年間で5年延びている。
2045年には女性は90歳を丁度超えるとという推計データあり。
100歳以上は71274人。その内、女性は62810人(2019年データ)。49年連続で過去最多を更新中。
1963年に老人福祉法が改定され、国による表彰が始まった時は、まだ153人だった。
2074年には717000人になる予測データあり。
人生100年時代
日本で2007年に生まれtら子供は、その半数が107歳まで生きうる。
認知症高齢者は462万人(2012年時点)、65歳以上の有病率は15%。7人に1人。

●(認知症になって)「ショックだったか」
ADはアミロイドβタンパクの蓄積によるもの。
ADは、一般的に①時間の見当識②場所の見当識③相貌失認という順番で低下
とある人からの質問。「他の誰かじゃなくて、なぜ自分なのか?」
→長谷川先生は回答できなかった。その場しのぎではなく、その人にきちんと向き合って、苦悩や悲しみに寄り添うしかない、という臨床上の経験がある。
→「ボクも一緒に悩みますよ」と言ってあげたい。
一方で自分が当事者になってみてどう思ったか?
→「歳を取ったんだから認知症になったのはしょうがない」という気持ちが1番。
長生きすれば誰でもなるんだから。それは当たり前のこと。ショックじゃないと言えば嘘になるけど、なったものは仕方ない。
というのは正直な感想。もちろんもどかしい気持ちは沢山ある。
臨床時代に先輩から「あなた自身が同じ病気にならない限り、あなたの研究は本物じゃない、認めない」と言われたことがある。今なら「ボクも本物になりました」と言える。

●公表した理由
たんに見守るだけでなく、寄り添い、ともに歩んでいきましょう、という存在・仕組み・取り組みがあったら、どんなに安心して勇気づけられるか。
「認知症に施策における官民連携(官庁と民間企業の協力)の好事例に関する調査研究事業報告書」というものがある。年々、「認知症の人に優しい地域づくり(街づくり)」という言葉が聞かれるようになってきた。

※長谷川先生の認知症型は、
嗜銀顆粒性認知症(しぎんかりゅうせい):脳に嗜銀顆粒という異常なタンパク質が溜まることから、その名がついた。記憶障害以外の認知機能低下は目立たない。怒りっぽくなる、頑固になる。不安・焦燥・抑うつなどの症状がでる。臨床診断は難しい。

●反省すること
以前であれば難なくこなせていた配慮や気配りができなくなっている。その場では自分では分からないが、何かの拍子やきっかけで、あとで気がついて反省することがある。

自分が認知症とわかってもらった上で付き合っていくのが良いと思っている。自分自身も認知症ときちんと向き合って。



【第3章】認知症になってわかったこと

●(認知症は)固定したものではない
普通の時と調子が悪い時の連続性がある。
長谷川先生の場合は、朝起きた時が1番調子が良い。13時過ぎから、自分がどこにいるのか、何をしているのか、分からなくなってくる。だんだん疲れてきて、負荷がかかってくる。それでとんでもないことが起きたりする。
夕方〜夜は疲れているけど、食べることやお風呂に入ること、眠ることなど、決まっていることが多いから、何とかこなせます。そして、眠って、翌日の朝になると、元どおり、頭がスッキリしている。
→こんなことが当事者になって初めて身をもって分かってきた。認知症は固定したものではなく、変動する。調子の良い時と悪い時があり、良い時は、色々な話や相談事もできる。
←臨床時代は、認知症になったら、それはもう変わらない、不変的なものだと思っていた。ここまで連続性があるとは考えてもみなかった。
→当事者の人達は「一旦なってみたら終わりではない「ということを知ってほしいし、
周囲の人達は「何も分からなくなった人間」として、一括りにしないでほしい。

●置いてけぼりにしないで
認知症としんだんされた人は「あちら側の人間」ではない。
話していることは認知症の人にも聞こえているし、悪口を言われたり、馬鹿にされた時の嫌な思いや感情は深く残る。話をするときには注意を払うことが必要。
→認知症の人が何も言わないのは、必ずしも分かっていないからではない。
存在を無視されたり、軽く扱われたりした時の悲しみや切なさは、誰もが大人になる過程や大人になってからも、職場や家庭で多かれ少なかれ体験しているはず。そうした辛い体験がもたらす苦痛や悲しみは、認知症であろうとなかろうと、同じ。
何かを決めるときに、ボク達抜きに物事を決めないでほしい。ボク達を置いてけぼりにしないでほしいと思います。

●時間を差し上げる
認知症の人と接する時、「相手の言うことをよく聴いて欲しい」。
こうしましょう、と言われると、他にしたいことがあっても、戸惑い混乱して自分の思っていることがいえなくなってしまい、それ以上は何も考えられなくなってしまう。
→「今日は何をなさりたいですか?」「今日は何をなさりたくないですか?」と聞いてほしい。そして、その人が話すまで待ち、なにをいうかを注意深く聴いて欲しい。
「聴く」というのは「待つ」ということ。そして、「待つ」というのは、その人の自分の「時間を差し上げる」ことだと思います。当事者としても、相当不便でもどかしくて、耐えなくてはいけないところがあるから、きちんと待って、じっくり向き合ってくれると、こちらは安心します。

●役割を奪わない
話しかける際は遠すぎず近すぎず(1mくらいの距離で)。
目線の高さは上から見下ろすのでも下から見上げるのでもなく、同じ高さにして、目と目を合わせる。
生活環境をシンプルにする。できるだけ単純な方が良い。トイレの場所、寝る場所の位置など、大事なものほど覚えやすく、見やすいようし、動きやすいようにしておくのが大事。
同時にいくつものことを理解するのが苦手。一度に色々なことを言われると混乱して、疲れの度合いが深まる。同じことを伝えるにしても、なるべくシンプルに分かりやすく、一つずつにして欲しい。これは伝える側の心掛け次第で大きく変えることができる点です。
認知症の人を、ただ「支えられる人」にして、全ての役割を奪わないということも心掛けて頂きたい。役割というのは、別に難しいことではなくて、何でもよい。

●笑いの大切さ」


今日はここまででした。

感想はまた後日に。

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