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受け取り方一つ、話し手の工夫。

【登場人物】

⬜︎部下のAさん、⬜︎上司のZさん、⬜︎仲介者である著者(自分)

【エピソード】

①上司Zはとても志が高くて、部下Aにもっと頑張ってほしいことを議論として挙げる。(狙いとしては、部下であるAさんにもっと頑張ってほしい=「期待の表れ」)

②部下Aからすると、「言っていることは分かるけど、そんなことを強要されても…」と一歩引いてしまう。(解釈としては、あなたにはできても「自分にはムリ…」と感じて、距離を置いてしまう)

③仲介役である著者は、数年前に起きた上記エピソードを部下Aから聞く。

そして、今もまだ距離感があるということを聞く。


【感じたこと】

上司Zは全く悪気がなく、良かれと思って伝えていることが、部下Aからすると、重荷になってしまい、半ば「強制的」(命令的)にやれと言われているような感覚になってしまう。

こういうことって本当に多いと思います。第三者目線でみると、単なるすれ違い。ちょっとだけ矢印の向きがズレているだけだと思いますが…。

上司として「何でこれができないんだ」ではなく、「一緒に乗り越えよう」という気持ちで心を満たせば、部下が「強制的」だと感じることはまずないと思います。

「何でこれができないんだ!」とWhy形式で疑問を抱くのではなく、「どうやったらこれができるようになるのか?」とHow形式で考えてみることで、相手への印象や対策が変わってくると思います。

少なくともHow形式で物事を考えると「強制的」な印象を与えるような質問は殆ど出てこない気がします。


仕事中の多くを「他者と話すこと」に捧げる医療職(自分の場合はリハビリ職)としては、コミュニケーションは本当に難しいものですが、やりがいのある領域だなと改めて感じます。

絶対の正解がないからこそ、常に考えながら、本気で話し合うことが必要だと思う毎日です。楽しいです!




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