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映画『パターソン』を二回観た夜

ジム・ジャームッシュとレンガとバス


「日常の特筆するべきこともないような些細な出来事を、ノートか携帯電話、あるいは頭の中にメモする習慣のある人はとても楽しめる映画」パターソン。写真や映像で日々を切り取っている人も楽しめると思います。逆に、どっかーんと大きな出来事や事件、興奮を映画の中に期待している人にはあまり楽しくないかも知れません。

パターソン


 ジム・ジャームッシュ監督『パターソン』という映画を二回観ました。この映画はニュージャージー州のパターソンという街の話で、詩人ウィリアム・カーロス・ウィリアムズの同名の詩集『パターソン』とも深くつながった作品です。
 ウィリアムさんは同じニュージャージー州のラザフォードで生まれ、当地で亡くなった詩人です。ラザフォードからパターソンへは車で9.6マイル15分だとグーグルマップが教えてくれました。つまり、逗子から横須賀へといった距離感のようです。
 ちなみにウィリアム・カーロス・ウィリアムズさんは話し言葉を詩の中に取り入れた方で、以後のアメリカの詩人や作家に強く影響を与えました。日常の些細な出来事、例えば落ち葉がぴらぴらと風で舞ったことなどを口語で詩にしました。ビートはもちろん、ブローティガンやレイモンド・カーヴァー、つまりは村上春樹さんにも影響を与えた詩人です。

*この先はめちゃネタバレします。未視聴な方はご用心ください。

『パターソン』とは


 二回目は色々とじっくり観察しました。取り急ぎ簡単にいうと『パターソン』はパターソンという町に住む、ノートに詩を書いているバス運転手パターソン氏の日常話です。どこの国にもいそうな、すらっと背の高い静かな男。恋人もいるしある程度満足した仕事も家もある。特に変化のない日々の中で彼は詩を日記のように綴っていく。家で、仕事場で、公園のベンチで。彼の秘密のノートと共にめぐる一週間プラス一日。街を縦糸に詩を横糸にしながらこの八日間の風景を紡いでいきます。

ジャームッシュの映画

 画面にはメタファーのように双子が度々登場します。きっかけは主人公パターソン氏の恋人が観た夢。その後、町なかで双子に目がいくようになります。が、特に双子が物語に何かを起こすとか、出来事のサインになっている様子はありません。(私が気がついてないだけかも知れないけれど)双子は様々な年齢と人種で七組登場します。一週間分ということなのでしょうか。

 映画はまず、主人公と恋人が二人で寝ている月曜朝のベッドから始まります。寝起きのシーンは句読点のように一日ずつ繰り返されていきます。初日の二人は向かい合い、体の輪郭でハート形を作っているような姿勢で寝ています。火曜日は背中合わせ、別の日は女性が男性にくっついてなど、これも七日間七種類すべて異なる寝姿で一週間が経過します。そして再び月曜日。

 バスの運転手が運転中に窓越しに交わす挨拶があります。二台のバスがすれ違う時に無言で手を上げて運転手さん同士で挨拶をします。みなさんもそんなモノマネをしたことがあるのではないでしょうか。いいもんですよね。気が付きそうで忘れがちな、当たり障りのないことをジャームッシュ監督は丁寧に描写します。バーの店主がチェスを打つときに敵役も自分でプレーし、一人二役で指した小話も良い。

パターソン氏の人となり


 パターソン氏は一人でいることを好む傾向がありながら、詩に関する人々には自分から声をかける勇気も持っている人間です。かといって決して陽気ではありません。運転中に他人の話に耳をそば立てて聞いているパターソン氏。そうなんです。パターソン氏はいつも人々の話していることや挙動に耳を澄ませています。それは多分、”日々の当たり障りのない出来事をメモにとる人特有の仕草”なのかも知れません。
 自分から多くを語らないので、他者には静かだと思われているかも知れないけれど、人一倍言葉を探していて、体の中には言葉が溜まっている、無言で話している。パターソン氏はそんな人です。

 それに引き換え、恋人は自分勝手な部分が多く、彼は不満もあるのだけれどそれを口には出しません。愛情がそれを上回っているからです。ただし主人公役のアダム・ドライバーは微妙な顔の皺や首の動かし方などでそんなちいさな不満を表現します。うまい。微妙な演技が実にうまい。出演したスターウォーズでは感じ取ることのできなかった彼の役者としての技能の高さが伝わりました。バスの運転席で盗み聞きをしている時に見せる最初の微笑も素晴らしいです。頬の動く筋肉があまりに微妙すぎて一回目は見落としました。

 盗み聞きといえば、藤本和子さんの『イリノイ遠景近景』が思い出されます。アメリカ文学の銘翻訳者である藤本さんも盗み聞きが大好きだったそうです。この本が気に入ればこの映画も気に入ると思います。過去に感想書きましたのでよければこちらも↓


大きなことが起こらないパターソンという町

 ジム・ジャームッシュ監督はこの映画の中で大事件や派手なことは描きません。悲しい事件が起きそうな予感をところどころの物陰に感じることはできますが、むしろ一週間は淡々とすぎます。ただその淡々とした中に、登場人物それぞれの持つ日々の出来事がある。特筆すべき極彩色な出来事はないけれど、小さな変化を繰り返しながら皆が生きている町、パターソン。
 このパターソンという町の風景を我々は沢山見ることになります。車窓や散歩の風景として。しかし、この物語と同じように特筆すべき極めて美しい絶景があるわけではありません。ほどほどに美しい橋と滝の見える公園。働いていることを誇りに思える古くて立派なレンガ造りのバス会社の建物。広くはないけれど快適なお家。色とりどりの小さな商店。どれも悪くはなくほどほどを保っています。

映画の最後に


 終映に際し、作品に意味を見出すのは観客の楽しみの一つでもあり、また、わがままでもあります。パターソンの最後には意味深な永瀬正敏さんが登場します。どういう設定なのかわかりにくい人物。この少しくたびれた背広を着た日本人はどことなく疲れていて、格好も微妙です。会社員でもなさそうな、かといって放蕩者でもありません。妙に丁寧な英語を話すようですが、その割には初対面の相手(主人公)の隣へずけずけと腰掛けてくる強引さを持った不思議な存在です。手には理解し難い不可思議な怪我がありますが、説明はありません。
 ただ、彼の詩への熱意はパターソン氏と同じかそれ以上な節があります。そんな日本人に出会い、パターソン氏の目には少し力が宿ります。しかし、変な人だ永瀬さん。

 パリの古書店に超意訳すると「変な人でももしかしたら天使かもよ」と書かれた場所があります。その書店はポエトリーリーディングを行なったり詩人を住まわせたりするパリでも稀有な存在の店で、過去にはビート詩人が滞在したこともあります。ああ、あの変な永瀬さんは天使だったのかもな。観客が勝手に想像する静かな自由がいくつも残された映画です。
 「変な人でももしかしたら天使かもよ」という古書店のフレーズはアイルランドの詩人、イェイツさんの詩から抜き出したものなので、私は観客に許された自由の中で勝手に思うことにしました。「変な人は天使だよ」普通の町に降りたね、と。

 目立たないけれど、映画の色味を調整するカラーリストさんも素晴らしい仕事をしていると思います。この作品の町や人と同じく、派手ではないけれど、どこか忘れ難い、じわじわとゆっくり沁みてくる色調。それは、良い映画や良い詩、良い文学、良い写真が長期に渡って人の心に灯し続ける、生命の灯火の下敷きです。「なんかいいんだよな。」この映画が翌日まで残るのは、一見何も起きない静かなスクリーンの中で本当は沢山のことが起きているためなのかも知れません。

 書き終えて振り返ると、ある双子のことを思い出しました。映画に登場する双子ではなく、友人の双子に初めて出会った時のことです。初めは二人ともそっくりで同じように感じましたが、親交を深めていくと二人にははっきりと分かる違いが沢山あり、全然瓜二つではないのです。本当はそれが当たり前なのだけど、実は自分がよく見ていなかっただけなのです。この映画の変哲もない町も人も、よく見さえすれば双子のようにみんな本当は異なる特徴を持っている。久しく会っていない彼らを思い浮かべながら、心はパターソンのバスに揺られています。


fine    上町休憩室(船越出張所)N


 
*視聴後にGoogleマップで散歩してもとても楽しい素敵な映画でした。バスを運転している気分で街を巡れます。
https://goo.gl/maps/8eWBERxLcnDUUFDH6


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